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タグ:近江の石仏 ( 25 ) タグの人気記事

泣き地蔵 ~Can\'t keep from crying~_c0196076_19190351.jpg

かつて湖南地方の信仰の中心地であった金勝(こんぜ)山は、いまからは想像もつかぬほどの往来があったといいます。
「昔は五十町の険しい坂道を登ったので、こんな所へは、二度と『コンゼ』と人はいったという」(白洲正子『かくれ里』)
なかでも、金勝寺近くのこのあたりは、通行人を泣かせるほどの難所であったため
ある僧が通行人の安全祈願のために刻んだのがこの「泣き地蔵」だと伝えられています。 

泣き地蔵 ~Can\'t keep from crying~_c0196076_19190383.jpg

阿弥陀如来の左側に「元治二乙丑」の銘が刻まれています。

1865年、江戸末期の作ということになり、このあたりに点在する摩崖仏としてはまったくの新参者。
それ故にか、藪に埋もれて忘れ去られていたところを、地元有志の方々が整備されたとのことです。

ゲイリー・ムーアの「泣きのギター」よろしく、お地蔵さんが泣いているのか思っていたらさにあらず
「地蔵」でさえなく(案内板には、お馴染みのお地蔵さんの絵が描かれていました)「阿弥陀三尊」(笑)
想像とはかけ離れていましたけれど、背景もすばらしく、ともて味わい深い仏さんでした。

by dendoroubik | 2018-11-16 05:00 | 滋賀 湖南 | Trackback | Comments(0)

岩根山の磨崖不動明王尊石仏_c0196076_17444087.jpg

善水寺に詣でたら、ぜひ立ち寄りたいのは、
岩根山の山腹にあるふたつの磨崖不動明王尊石仏
花園地区と、善水寺に近い不動寺(黄檗宗)のこの磨崖仏です。

鎌倉時代に修行僧によって彫り出されたというこの不動明王。
山の斜面から今にも転がり落ちてきそうな巨石に、
いったいどんな格好を取りつきながら製作したのか、
また、そこまでして製作しなければならなかかった修行僧の、
のっぴきならない情熱がどんなものだったのか、
ぜひ、知りたいような気持ちに駆られてしまいます。

今となっては、知りようもないことですが・・・。


つづきはこちらから
by dendoroubik | 2013-11-25 12:53 | 滋賀 湖南 | Trackback | Comments(0)

東近江 引接寺の来迎浄土_c0196076_20462070.jpg
この石塔・石仏の夥しさを目の当たりにして、息を呑まないひとはいないでしょう。その数、約五千体といわれます。
引接寺は百済寺の末寺。信長の焼き討ちにあったのち、無縁仏として辺りの山野に放置されたままになっていた石塔・石仏を、信者たちがひとつひとつ拾い集められたものだそうです。

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-04-08 21:19 | 滋賀 湖東 | Trackback | Comments(9)

埋もれかけた石仏・・・

埋もれかけた石仏・・・_c0196076_2104252.jpg

知らない土地へ行くと、必ず書店で「郷土の本」コーナーへ立ち寄ります。 
その土地でしか手に入らない珍しい本や情報を探すのが目的ですが
富山で購入した『石の表情』という本はいまでも愛読しています。 
著者は京田良志氏。富山で高校教諭を務められ、考古学や石仏、富山の説話などの著書をものされています。
(『石の説話』という奇著もあります) 

『石の表情』は新書で、富山を中心に全国各地の「石」の造作物を
1ページごとに写真と短いキャプションをつけて紹介するなんとも不思議な書物です。
「こんな本 誰が読むのかな…?」とも思うのですが(買った本人が言うのもおかしな話です)
自分のもっているのは二刷で、さらに『続・石の表情』という続編(もちろん、持っています)も
平成九年に出ているので、けっこう人気のシリーズなんですね。 

滋賀の石造物も正編では2件(「川石に二人像」「金勝寺の飛鳥仏」)
続編には7件(「古くて新しい地蔵さん」「「明智光秀の墓」「信長の足形」「四十八体の一体」
「兵火に遭う」「『永仁』の弥陀」「関寺の牛塔」)が紹介されています。

野洲市北の農村でみつけた、この道路に半身を埋めた仏さん・・・
先の本に載るまでもないような、ありふれた仏さんではありますが、
もともとあった路傍の石仏をコンクリートで固める際の
この微妙な残り具合というか、たたずまいに、しばし見惚れてしまいました。

何仏なのか・・・残念ながら自分の知識ではわかりませんが
道路から出た部分が30センチにも満たない小さな仏さんにもかかわらず
表情がよくでていて・・・たとえば、弥勒菩薩とか、如意輪観音みたいな思慮深い面影を残しています。

by dendoroubik | 2011-02-27 22:34 | 滋賀 湖東 | Trackback | Comments(6)

野洲 行事神社

野洲 行事神社_c0196076_5433051.jpg
中山道と朝鮮人街道の分岐に建つ 野洲の行事神社・・・鳥居と拝殿のあいだに、大きな勧請縄がかけられています。
毎年、1月に氏子たちによって架け替えられ、村に悪霊や疫病などが入ってこないようにと 1年間 吊るされます。
野洲 行事神社_c0196076_5454141.jpg
鳥居には、ふつうの注連縄もかけられています。

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by dendoroubik | 2011-01-15 06:16 | 滋賀 湖南 | Trackback | Comments(0)

志賀越みち 京都篇1

志賀越みち 京都篇1_c0196076_21473858.jpg

           しがの山ごえで女のおほく逢へりけるに

           梓弓
           春の山辺こえくれば
           道もさりあえず
           花ぞちりける
   
                            紀貫之『古今和歌集』

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by dendoroubik | 2010-08-14 22:50 | ◇志賀越みち | Trackback | Comments(4)

志賀越みち 大津篇4

志賀越みち 大津篇4_c0196076_12511590.jpg

  志越みちを下りはじめると、
  道のかたわらに水音を立てる小川があらわれ、
  その水に案内されるようにちいさい山里に入った。
  山中町とある。
  家の軒には蓑笠や籠がかけてあり、
  白や赤の花が軒下や石垣の上に咲いていた。
  石仏を過ぎると、鳥居があり、
  樹下神社、極楽寺と瀟洒な寺社があった。
  ちいさな山里はせせらぎの音に包まれていた。
   こんな美しい山里は見たことがなかった。
  時鳥(ほととぎす)の鳴く声がして
  低い屋根の向こうに聳え立つ見事な杉林を見上げた。
  木立の間からさらに沢が上がっていて、
  そこに山桜が一本、残る花を咲かせていた。
  花に囲まれた里だった。(伊集院静『志賀越みち』)

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by dendoroubik | 2010-08-09 15:08 | ◇志賀越みち | Trackback | Comments(2)

志賀越みち 大津篇3

志賀越みち 大津篇3_c0196076_21565541.jpg

灼熱の「海の日」

古道「志賀越みち」を滋賀里(自宅近)から
終点(基点)の荒神口まで徒歩で歩き通し、
自宅へ帰った夕方・・・

なんだか腑に落ちなくて、
伊集院静さんの『志賀越みち』の冒頭部分を読み返してみました。

東京のぼんぼんの主人公は、
おそらく前日かその日に、近江八幡まで来て、
そのまま東海道線で京都へは行かず
「志賀越え」で京都へ入ります。

(景色を楽しみたいという主人公のリクエストに、
祇園のお茶屋の倅の友人が、
それなら「志賀越えや」とアドヴァイスします)

詳細な描写がないので、断定はできませんが・・・
どうやら主人公は近江神宮の脇から山道を登っていきます・・・

うーむ。

それは現在の山中越え・・・

滋賀県道・京都府道30号線(大津下鴨線)で・・・
「志賀越みち」とはちがいます。

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2010-08-05 23:09 | ◇志賀越みち | Trackback | Comments(6)

志賀越みち 大津篇2

志賀越みち 大津篇2_c0196076_23185536.jpg

京阪石坂線の滋賀里駅から旧志賀越の道をすすんでいくと、
農家の途切れたあたりに見えてくる竹薮・・・

そこにあるのは、百穴古墳群です。

古代朝鮮半島からの渡来人の墳墓。

横穴式のドーム型の石室をもち、
盛り土の崩れた、なだらかな斜面に
パックリと「穴」のような玄室の通路を覗かせています。

現在60数基が確認されているそうですが、
おそらく100ほどの墳墓があるんだそうです。
100の穴・・・で百穴古墳^^

造営時期は6世紀後半・・・聖徳太子の時代。

それからおよそ100年後、
ここから数キロびわ湖側に「大津京」が営まれます。

そのあたりからここ・・・さらに北側の坂本にかけて、
同じような形式の古墳群が連なっています。

いまとなっては、当時の生活を知るよすがとてありませんが・・・
当時、このあたりは飛鳥と同じように・・・
あるいはそれ以上に・・・? 
日本でいちばんブリリアントな場所だったかもしれない
と想像するのも楽しいですね。

それと、この場所がいいのは、
自由に玄室に入れることです。
石を刳り貫いた石棺も見られ、
さすがにそこはロープが張られて、入室できませんが、
ほかの石室のなかには出入り自由・・・

なんなら、寝転がって昼寝することもできます。

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2010-07-31 00:15 | ◇志賀越みち | Trackback | Comments(8)

志賀越みち 大津篇1

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この著者の本を読むのもはじめてで、
恋愛小説をすすんで読むこともないのですが、
タイトルに惹かれて伊集院静さんの『志賀越みち』を購読しました。

高度経済成長に沸く昭和38年。舞台は京都・祇園。

東京大学に通う「ええとこのボンボン」津田雅彦君は、
夏休みに、祇園で置屋を営む級友の実家へ遊びに行きます。

学業にいまひとつ身の入らない津田君は、
けっきょくそこで1年間居候することになるのですが、
偶然出合った舞妓の真祇乃(まきの)と恋に落ち

・・・とこう書くと

  「いつの時代の小説やねん!」

と思わず茶々も入れたくなりますが(笑)
そんな無理なシュチエーションも、
祇園祭や五山の送り火、
温習会などの行事や当時の祇園のしきたり、
いけずな年増の繰言なんかが
ゆったりとしたテンポで散りばめられているの
を読みすすむうち気にならなくなってしまいます。

物語の中盤、五山の送り火の夜に
「志賀越え」の京都側の基点、
荒神橋ではじめて逢引きするシーンからは、
知らずに一気に読み終わってました。

屏風祭での再会や新年、
花背の雪の中で最後の別れ
・・・など、思わずこちらが赤面してしまうほどの
紋切り型の連続なのに、読まされてしまうのは、
すごい著者の力技ですね。

ところで・・・

物語の冒頭、津田君は、
なぜか「志賀越え」で滋賀から京都へ入ってきます。
(そして、峠を越えて滋賀県側に入ったところで物語は終わります)
先日、そんな志賀越えみちを、
津田君よろしく大津側から京都まで、徒歩で散策(?)してみました。

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by dendoroubik | 2010-07-29 23:06 | ◇志賀越みち | Trackback | Comments(2)