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彦根 龍潭寺2

彦根 龍潭寺2_c0196076_11293522.jpg

松尾芭蕉の門弟のなかで、
とくに優れた高弟10人を指して 

  「蕉門の十哲」 
といいますが、そのなかに森川 許六
(もりかわ きょりく)という彦根藩士がいます。 

同じく蕉門十哲の一人に数えられる
其角に師事して蕉風に傾き、
江戸での勤務の折、深川にいた芭蕉に入門。 

彦根に帰る際には芭蕉から 
「柴門之辞」を送られるほどの厚遇・・・

「弟子」といっても実際の接触はその1年間だけで、
お互いにその才能を理解し合う仲だったともいわれます。 

「許六」 の号は 槍術・剣術・馬術・書道・絵画・俳諧の
六芸に通じていたころからは芭蕉が命名したもの
といわれるほどの才人。 
特に絵の腕前は 芭蕉をして

  「絵では あなたが師匠だ」 

といわしめたほどのものだったといわれます。

彦根 龍潭寺2_c0196076_1128276.jpg

生前に描かれたものであるため、
実像に近いのではないかといわれ芭蕉の肖像画として
よく引用される「おくのほそ道」の旅姿を描いた 
「芭蕉行脚図」も彼の筆によるものです。 

龍潭寺方丈の10室は五十六絵すべて
彦根藩士中野助太夫三宜の依頼によって
許六が描いたものと伝えられています。

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-11-23 18:00 | 滋賀 彦根 | Trackback | Comments(5)

比叡山 延暦寺 根本中堂_c0196076_20273953.jpg
  
根本中堂

「ねがはくは 妙法如來 正遍知 大師のみ旨 成らしめたまへ」宮沢賢治

比叡山 延暦寺 根本中堂_c0196076_20305082.jpg

ちょっとラジカルな純正日蓮主義者だった25歳の賢治は、
浄土真宗の篤信家の父に連れられて、
比叡山延暦寺を訪れます。 

親鸞も日蓮も、もとはといえば延暦寺で修行をした身・・・
そのルーツを訪ねれば、
息子の熱もいくらか冷めるという思惑があったのでしょうか・・・

比叡山を訪れて、賢治の心のなかに
どんな化学反応が起こったのかはわかりません。 

正直、この歌の意味が僕にはよく理解できません。

比叡山 延暦寺 根本中堂_c0196076_20365041.jpg

数年後『春と修羅』の第二集に
こんな詩を書いています。 「一四五 比叡 (幻聴)」

  黒い麻のころもを着た
  六人のたくましい僧たちと
  わたくしは山の平に立ってゐる
     それは比叡で
     みんなの顔は熱してゐる
  雲もけはしくせまってくるし
  湖水も青く湛へてゐる
     (うぬぼれ うんきのないやつは)
  ひとりが所在なささうにどなる

どなられてたのは きっと・・・賢治?

そして黒い麻の衣を着てどなっている僧はお父さん?
by dendoroubik | 2011-11-16 21:09 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(2)

比叡山 延暦寺 浄土院

比叡山 延暦寺 浄土院_c0196076_2159754.jpg

その信仰の深さは脇において、
あまりの観光客の多さに 
いささか俗っぽさを感じないでもない比叡山延暦寺の東塔から、
杉林を抜けて西塔へ向かう手前に浄土院はあります。 

やはり 多くの観光客がひきもきらないのですが、
ここだけなぜか張り詰めた空気に支配されています。  

  「伝教大師・最澄の御廟があり、
   山内で最も神聖な場所とされています」

と案内板の説明にあります。 

いまも高野山で弘法大師 空海を
生けるがごとく奉仕しているように、
ここでも十二年籠山修行の僧が毎日、
生身の伝教大師 最澄にお仕えするようにに奉仕しているそうです。

比叡山 延暦寺 浄土院_c0196076_2231985.jpg

僕の隣にいた老夫婦が

  「静かなところだねえ・・・」

と呟いておられました。

たしかに・・・。

そのひと言ではじめて気づきました。

ふだんあまり経験しないような静けさが
あたりを覆っているために、
この森厳な空気がたんに静かであることからきている
というシンプルな事実に気づかなかったのでした。

砂紋の同心円に静けさがいや増します・・・

比叡山 延暦寺 浄土院_c0196076_2253854.jpg

まわりにたくさんいるはずの野鳥でさえ、
ここでは囀りを謹んでいるかのようです・・・
by dendoroubik | 2011-11-15 18:00 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(4)

比叡山 延暦寺 相輪橖と香炉丘弥勒石仏_c0196076_22584872.jpg

延暦寺西塔の丘のうえに立つ 相輪橖(そうりんとう)。 
請花の下で天女が縦笛、横笛、太鼓、笙、琵琶を奏でます。 
九輪に取りつけられた風鐸と鈴・・・
遮るもののない比叡の空から音楽が聞こえてきそうです・・・

比叡山 延暦寺 相輪橖と香炉丘弥勒石仏_c0196076_2335783.jpg

十字路をはさんですぐ近く 香炉丘の弥勒如来の石仏。 
釈迦の入滅後 56億7千万年にわたって兜率天で説法し、人々を救済するために現れた姿。
信長の叡山焼き討ちによるといわれる破損の跡が痛々しい・・・

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-11-14 18:00 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(0)

岡本太郎と信楽展

岡本太郎と信楽展_c0196076_2133350.jpg


し、知りませんでした・・・

岡本太郎が信楽の名誉町民

・・・だったなんて!


つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-11-11 18:00 | 滋賀 甲賀 | Trackback | Comments(6)

MIHO MUSEUM 神仏います近江 「天台仏教への道 -永遠の釈迦を求めて-」_c0196076_21263266.jpg

いま 滋賀では

  「神仏います近江」

を共通テーマに、県立の近代美術館、大津市の歴史博物館、
私立のMIHO MUSEUMの三会場連携の展覧会がおこなわれています。 

それぞれの会場が テーマ別の展示をおこない 
信楽のMIHO MUSEUM」では

  「天台仏教への道 -永遠の釈迦を求めて-」

と題して、釈迦の誕生、入滅から 
比叡山延暦寺を中心とした天台の隆盛を跡づけています。 

(県立近代美術館「祈りの国、近江の仏像 -古代から中世へ-」
大津市歴史博物館 「日吉の神と祭」 )

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-11-10 20:00 | 滋賀 甲賀 | Trackback | Comments(2)

たぬ木

たぬ木_c0196076_18152890.jpg

信楽では、こうやってたぬきの置物を栽培しています。 ご存じでしたでしょうか・・・?

日本六古窯に数えられ、いまも陶芸の盛んな信楽の名産だということで
あれを陶器だと勘違いされている方の多いことに驚かされます。
ご覧の通り歴とした農作物です。 先入観とは おそろしいものですね。

玄関先やお店のまえに置かれているものは、たぬ木の実を乾燥させたものですが
質感が信楽焼きの陶器と似ているので、間違ってしまうのも、無理はないかもしれません。

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収穫間近の「たぬ木」。 今年も豊作です!
by dendoroubik | 2011-11-09 09:00 | 滋賀 甲賀 | Trackback | Comments(6)

信楽陶芸の森

信楽陶芸の森_c0196076_17572334.jpg

信楽へ。

MIHO MUSEUM「神仏います近江 天台仏教への道-永遠の釈迦を求めて-」と 
滋賀県立陶芸の森 信楽産業展示館
「生誕100年・信楽町名誉町民40周年 岡本太郎と信楽展」の二本立て。

信楽陶芸の森_c0196076_1923437.jpg

天気がよかったので、陶芸の森をぶらぶら散歩。 

暑くも寒くもなく 気持ちよかったです。

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-11-08 20:06 | 滋賀 甲賀 | Trackback | Comments(2)

大津絵の筆のはじめは何仏?_c0196076_2175654.jpg

京阪浜大津駅から大津市役所まえ、
皇子が丘公園一帯に『大津絵の道』と呼ばれる遊歩道があります。  

壁や敷石に嵌め込まれたものがありますが、
市役所まえの説明入りの「大津絵」を並べてみます。

「大津絵」は江戸時代初期から、
大津宿で東海道の旅人相手にみやげ物として売られていた名物。 

代表的な十題・・・
「寿老人(外法と大黒の梯子剃り)」「雷公の太鼓釣り」
「鷹匠」 「藤娘」 「座頭 」 「鬼の寒念仏」
「瓢箪鯰」 「槍持奴」 「釣鐘弁慶」 「矢の根」

たとえば「藤娘」は「愛嬌加わり良縁を得る」
・・・というふうに 護符としての効能も唱えらていました。 
その他にも百種以上の画題があるといわれ、
ユーモラスなタッチで描かれているものが多く、
まるで滋賀県の「ゆるキャラ」や
「飛び出し坊や」のルーツのようでもあります(笑)

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-10-30 23:24 | 滋賀 大津 | Trackback(1) | Comments(0)

甲賀 山上庚申道の道標

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杣街道と、水口-信楽を結ぶ信楽街道が
交わるところにある「天理スタミナラーメン」 
そのまえに高さ5メートルの、この石造道標が建っています。

頂に「見ざる・聞かざる・言わざる」の
三匹の猿の彫刻が施されていますが、
すぐまえが自動車の行きかう道路のため、
この像をじっくり見る場所というのがありません。

(青信号のとき、横断歩道からこの写真を撮りました^-^;)

この道標が指し示すのは、
庚申山の広徳寺・・・そこに祀られる庚申。

 「嘉永四辛亥年八月建之」
 「発起人 世話人 江戸 京都 金物屋中」

とあります。

江戸、京、大坂の金物屋さんが、
なぜこんなところに道標を・・・?

甲賀 山上庚申道の道標_c0196076_21415673.jpg

むかしむかし(文禄二年)・・・

庚申山の麓に住む、藤左衛門という農民が、
貧しい生活から抜け出したいと、
十七日間、庚申堂に参詣し、断食修行をおこないます。

いよいよ満願の夜・・・

一心不乱に祈るうち、
ついうつらうつらとしてしまった藤左衛門の夢枕に、
突如、童子が現われ、
銅に亜鉛を混ぜる合金の法を伝授します。

感涙にむせびながら下山した藤左衛門が、、
この法を試してみたところ、
黄金のように輝く合金ができあがります。

これが日本の真鍮錬製のはじまりともいわれます。

のちに彼は、京に出て真鍮を鋳造。、
銅よりも硬く、黄金のように輝く真鍮は大ヒットし、
巨万の富を得た藤左衛門は、
広徳寺の本堂を再建。
それ以来、庚申堂の本尊は「日本真鍮元祖」として、
とくに京阪神の金物商や
金細工師により信仰されるようになったといいます。

日本のパラケルススともいうべき
藤左衛門の墓は、京都三条寺町天性寺にあります。

甲賀 山上庚申道の道標_c0196076_21421066.jpg

道標の近くにあるエノキの巨木・・・
by dendoroubik | 2011-05-30 22:43 | 滋賀 甲賀 | Trackback | Comments(0)