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今日の坂本、西教寺

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朝、天気がよかったので、紅葉のすすみ具合を見に、坂本を少し散歩。

西教寺は、色づいてきた木もありましたが、全体的に三割程度。
来週は冷え込む予測がでているので、その先あたりが見ごろでしょうか。

日吉大社は、鳥居から大宮川、日吉三橋あたりは見事に紅葉してました。
境内はまだこれから先みたいです。
(急に曇りだしてきたので、写真も撮らずに帰宅・・・)

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by dendoroubik | 2012-11-10 20:00 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(4)

彦根 龍潭寺2

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松尾芭蕉の門弟のなかで、
とくに優れた高弟10人を指して 

  「蕉門の十哲」 
といいますが、そのなかに森川 許六
(もりかわ きょりく)という彦根藩士がいます。 

同じく蕉門十哲の一人に数えられる
其角に師事して蕉風に傾き、
江戸での勤務の折、深川にいた芭蕉に入門。 

彦根に帰る際には芭蕉から 
「柴門之辞」を送られるほどの厚遇・・・

「弟子」といっても実際の接触はその1年間だけで、
お互いにその才能を理解し合う仲だったともいわれます。 

「許六」 の号は 槍術・剣術・馬術・書道・絵画・俳諧の
六芸に通じていたころからは芭蕉が命名したもの
といわれるほどの才人。 
特に絵の腕前は 芭蕉をして

  「絵では あなたが師匠だ」 

といわしめたほどのものだったといわれます。

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生前に描かれたものであるため、
実像に近いのではないかといわれ芭蕉の肖像画として
よく引用される「おくのほそ道」の旅姿を描いた 
「芭蕉行脚図」も彼の筆によるものです。 

龍潭寺方丈の10室は五十六絵すべて
彦根藩士中野助太夫三宜の依頼によって
許六が描いたものと伝えられています。

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by dendoroubik | 2011-11-23 18:00 | 滋賀 彦根 | Trackback | Comments(5)

大津 保田與重郎の墓

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今年は保田與重郎の生誕100周年なんだそうです。

先日、京都のジュンク堂書店で立ち読みしていたとき、はじめて知ったのですが・・・
100歳・・・
まだ、生きていても不思議じゃない年齢です。でも、なんだかしっくりきません。

数年まえに「きんさん・ぎんさん」という双子のおばあちゃんが人気だったころ
しばらくして近所の本屋さんで「宮沢賢治生誕100周年フェア」というコピーを見て

「うわあ! きんさん・ぎんさんは賢治より年上やったんや!」

と・・・自分のなかの年表がひっくり返されたような驚きを感じたことを思い出しました。

賢治は38歳という若さで亡くなっているわけですし
逆算してみたらなんでもない話ではあったんですが
歴史的な人物やという思い込みを不意打ちされたような思いでした。

保田與重郎は、決して「夭折」したわけじゃありませんし
年表を見てみると、自分が高校生のころにはまだ存命されています。
が、はじめてその名を知ったときには、暗黙のうちに「過去の人」
というレッテルが貼られていたように思います。

『日本浪曼派』を主宰していたのが25歳、
敗戦後「戦争協力者」なんていわれて干されていたのも、35歳という若さ。
「夭折」ではなくてなくて、おどろくべき「早熟」ですね。

数年まえ、はじめて義仲寺を訪れて、保田與重郎の墓を見つけたときも驚きました。

奈良桜井出身・・・
ことあるごとに大和の美しさを喧伝していた人が
・・・というより、まるで大和の美しさがイコール日本の美しさ
みたいに言ってた人が、なぜ滋賀に眠っているのか?・・・と。

『芭蕉』という本も書いていますし、
「平家物語」を紹介するのに、あえて義仲の視点から語り起こす(『木曾冠者』)人ですから
ふたりの眠る場所を選んだのかな・・・と ぼんやり想像していたのですが・・・

なぜ奈良でなく、大津・義仲寺にその墓があるのか、仔細は知りませんが
戦後、荒廃しきっていた義仲寺を「再建」したのは、保田與重郎だと最近、知りました。

ちょうど、彼が世間から「干されて」いた時期ですね・・・

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保田與重郎の墓の傍らには、膳所藩の重臣で、近江蕉門の重鎮、菅沼 曲水(翠)の墓があります。

曲水は、不正を働く藩の奸臣を槍で天誅・・・藩主に非がおよぶことを恐れ
「私闘」に見せかけて切腹して果てた・・・という気骨の人。

息子も切腹を命じられ一家は断絶。

そのため墓はなく、義仲寺にはじめ建立されたのは昭和48年。
没後257年後のことでした。

そんな最後を知るよしもなかった芭蕉も
彼のことを「勇者曲水」「ただ者にあらず」と評していたといいます・・・
by dendoroubik | 2011-03-05 22:59 | ◇アイドルを探せ! | Trackback | Comments(0)

大津 堅田の芭蕉さん

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「奥の細道」の旅を終えた芭蕉さんは、
いったん故郷・伊賀上野に帰りますが、
1689年の暮れ、義仲寺の草庵に入ります。

1691年の晩秋に江戸に発つまで2年近く、
大津に留まりますが、その間、2度、を訪れています。

一度目は、1690年・9月、
近江で最も早く芭蕉の弟子になった
本福寺の住職・千那に招かれて2週間ほどの滞在。

  病雁(やむかり)の 夜寒に落ちて 旅寝哉

  朝茶飲む 僧静かなり 菊の花

  海士の屋は 小海老にまじる いとど哉

二度目は、翌年8月15日に義仲寺で月見の会をに催した翌日、
船くりだして、十六夜の観月句会に参加します。

  錠明けて 月さし入れよ 浮御堂

  やすやすと 出でていざよふ 月の雲

  十六夜や 海老煮るほどの 宵の闇

写真は、その日のありさまを記した
「堅田十六夜の弁」の碑と、バックに浮御堂・・・です。

堅田でよんだ句ではありませんが

  比良三上 雪さしわたせ さぎの橋

の句は、当時の滋賀県知事に
琵琶湖大橋を建設を決意せしめたとか・・・。

「大酒を飲み、遊里で遊び、
歌舞伎役者市川団十郎や豪商を友として、
およそ芭蕉と反対の生涯をすごした遊蕩児」(嵐山光三郎)
蕉門十哲の第一の門弟・其角の実家跡も、
ここ堅田、本福寺と光徳寺のあいだにあります。
by dendoroubik | 2011-01-25 23:31 | ◇アイドルを探せ! | Trackback | Comments(4)

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どんな事情があったのはかわかりません・・・でも、自分の故郷でもない土地に埋めてくれなんて遺言するのは、いくら当時の次男坊とはいえ、よっぽどのことだと思うのです。

漠然と 滋賀は芭蕉句碑の多いところ・・・というイメージがあったのですが、実際は全国で17位・・・決して多いわけではないみたいです。

(JR石山駅前の芭蕉像)
by dendoroubik | 2010-12-23 23:35 | ◇アイドルを探せ! | Trackback | Comments(0)

京都 金福寺

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お寺にも「キャッチコピー」みたいなものが必要ですね。

詩仙堂、曼殊院などのビッグネームの影に隠れて
イマイチ知名度の低いこの金福寺のそれは
「芭蕉・蕪村・村山たか女ゆかりの寺」

あるいは・・・

「秋の紅葉、初夏のサツキ、夏のリンドウ」・・・

京都府京都市左京区一乗寺才形町20

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by dendoroubik | 2010-07-04 23:15 | 京都 | Trackback | Comments(4)

大聖寺駅の芭蕉句碑

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JR西日本が発行している観光パンフレットは、出勤前、毎朝欠かさずチェックしています (笑) 明日から10月ということで、各シリーズの10月号や秋号が出揃いはじめました。 『旅ごよみ』 10月号は熊野古道や石見銀山、関西1デイパスで戦国ゆかりの地めぐり(滋賀の坂本や安土も出てきます) 鉄道遺産、倉敷あんこめぐり・・・の特集です。 『ハイキング』 10~12月号も出ました。この冊子は、写真はないのですが、名所旧跡やシブいスポットのコースが書かれていて参考になります (但し、あくまでもJR発行なので 「そこ行くなら京阪使うやろ~!」 と思わず突っ込みを入れたくなるような箇所までJR基点で書かれています(笑) そして、今回秀逸だったのが北陸三県の観光課が企画している 「北陸物語」 シリーズ 『北陸秋物語』 です。 巻頭特集が 「芭蕉が歩いた秋の北陸紀行」 (でも、なぜか表紙の写真は芭蕉が行かなかった錦秋の立山です)

これを読むだけで、大垣を除く 『奥の細道』 の後半部分がわかったような気にさせられます。 新潟と富山の県境近く、市振の高台から日本海をバックに北陸本線を走る列車を捉えた写真なんかは、思わず旅情を誘われます。

といわけで
by dendoroubik | 2009-09-30 22:50 | 石川 | Trackback | Comments(4)

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大津膳所の琵琶湖畔、国道を挟んで画家の山元春挙さんの別邸で、
重要文化財にも指定されている「「芦花浅水荘」というシブイ住居があります。
(前日までに予約すれば見学もできます)

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by dendoroubik | 2009-09-07 23:19 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(2)

名古屋 鳴海の千鳥塚

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芭蕉最古の句碑といわれる千鳥塚は、
名古屋市緑区にあります。

万葉からの歌枕。

千鳥が群れる情景を想像していたので、
ベッドタウンのふつうの公園を通り過ぎてしまいそうになりました。

江戸時代は、東海道の本陣があって、
賑わった街道筋ですが、その面影もありません。

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by dendoroubik | 2009-08-29 16:36 | 愛知 | Trackback | Comments(0)

大津 芭蕉会館

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昨日、会社の帰り、急にラーメンが食べたくなり、
膳所駅で降りて駅近くの来々亭へ行きました。

食べ終わって、駅へ帰ろうと店を出たとき、
来々亭のすぐ傍に「竜ケ丘俳人墓地」があるのに気づきました。

大津に住んでいながら・・・
このへんにあることは、なんとなく知っていながら・・・
迂闊にも訪れたことがありませんでした。

三日月に照らされた・・・
というよりも、来々亭の黄色い看板の
灯りに照らされた墓地をお参りしました。

「大津市歴史博物館」のサイトからの引用です。


松尾芭蕉は、死後遺言により義仲寺に葬られたが、
蕉門十哲の一人内藤丈草は義仲寺境内の竜ケ岡に仏幻庵を営み、
芭蕉を供養するために法華経塚を建てた。
丈草は死後仏幻庵の故地に葬られ、
続いて可風・文素・蝶夢ら一七基の墓が建てられ、
俳人墓地と呼ばれるようになった。
義仲寺境内の山林であった俳人墓地も、
現在は国道1号線や付近の開発によって様相を一変している。

JRと国道に挟まれた、ほんのわずかなスペース・・・

「様相を一変している」どころじゃありません。

これでは、気づかないのも仕方ありません。

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by dendoroubik | 2009-08-26 19:45 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(2)