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カテゴリ:◇長浜曳山まつり( 79 )

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線香番、十三日番、本日、後宴でそれぞれ狂言を観せていただきましたが
『鳥辺山心中』のお染ちゃんは、長台詞をいちどもまちがうことなく見事に演じきっていました。
それなのに、長浜文化芸術会館ステージでの狂言上演のまえに
役名と本名を名乗るだけの簡単な自己紹介でつかえてしまい、狼狽える姿が可愛いすぎました。
振付の先生に耳打ちしてもらって事なきをえましたが、そのあとの上演では何事もなかったように
やはり完璧に役になりきっていたのが、どこか不思議な気がしました。 たいしたものですね。


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by dendoroubik | 2019-04-29 05:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(2)

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15日の「本日」(ほんび) 御旅所での最後の狂言執行がおわると神輿還御となります。

現在は12のヤマのうち、一年に4組の当番制で、それもすごい数だと思うのですが
戦前までは、すべてのヤマがここで狂言を執行し、夜明け近くまで賑わっていたのだといいます。
「籤取式」で「壱番」を引き当てることが名誉だというのはわかりますが
「三番」「四番」だと提灯の灯りが幻想的で雰囲気もよく、別に何番でもいいようにも思います。
じっさい、内心は壱番は避けたいと思っている山組の方も多いのだと仄聞します。
良い籤順が引き当てられるように「裸参り」までするということがピンときませんでしたが
たしかに夜明け近くまで待たないといけない「壱弐番山」だったりするとたいへんそうです(笑)


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by dendoroubik | 2019-04-28 05:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(2)

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「夜昼となしに兄を誘い出して、あたら侍を腐らせた江戸の侍の面汚しめ」
「なに、おのれはこの半九郎を江戸の侍の面汚しと言うたな。 その仔細を申せ」
「改めて問うことか。 御用を怠って遊里に入りびたるを武士の面汚しと申したまで」
「武士の面汚し、相違ないな」
「おお。 菊地半九郎は武士の面汚し、恥さらし、武士の風上には置かれぬ奴だ」
「おお、よく申した。 おのれも武士に向ってそれほどのことを言うからは、相当の覚悟があろうな」
「念には及ばぬ。 武士にはいつでも覚悟がある」
「問答無益だ。 源三郎、河原へ来い!」


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by dendoroubik | 2019-04-27 05:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(0)

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元和、寛永の度重なる将軍上洛で、江戸の侍たちで溢れかえる京の町。

その当時、京の公認の色町は六条柳町の遊女屋だけでしたが
無免許の隠し売女であった祗園は柳町を上回る繁盛ぶり。
柳町への競争心から、祗園の主人はいずれも勤め振りにやかましく
とくに江戸の侍には粗相があってはならないと遊女たちに言い含めています。
しかし、若松屋という遊女屋に売られて来て、その日が店出しだったお染には
気をつけるようにと言われても、何を気をつけたらいいのかさえ見当がつきません。 

そっと座敷を抜け出して泣いているお染に声をかけたのは
はじめての客となった、上洛中の旗本・菊池半九郎。
お染の身の上話を聞いた半九郎は、江戸っ子らしい親切心からその日は金だけを払って帰してやり
翌日から昼も夜も、自分以外の客をとらせないよう揚げ詰めにしています。

それから1ケ月・・・


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by dendoroubik | 2019-04-26 09:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(0)

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大蔵卿役の少年は、つくり阿呆と貴公子然とした聡明さを巧みに演じわけていました。

子ども歌舞伎でこの演目を観ていると、いずれも鬼次郎が目の覚めるようなカッコよさで
一方、なぜかお京はどこか色っぽく(笑)・・・やはり、今年の常盤山でもそうでした。
勘解由役は、役者のなかでもいちばん幼い子が演じるのが常らしく、これがとても可愛らしい。
憎々し気な役柄なのに、芝居じたいがとてもホンワカとした雰囲気に包まれます。
3年まえの『妹背山婦女庭訓』で、同じようにホンワカとした笑いを誘ったのが
そのとき5歳だった御殿女中の「おむら」・・・今回はなんと常盤御前を演じていました(笑)


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by dendoroubik | 2019-04-25 19:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(0)

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弐番山「常盤山」の外題は『一條大蔵譚』
子ども歌舞伎でも、毎年どこかで観ない年はないといくくらい人気の演目です。


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by dendoroubik | 2019-04-24 22:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(2)

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翁山の外題が『碁太平記白石噺 新吉原揚屋の場』と聞いたとき「ひょっとして」と思いました。

ひょっとして、揚屋の亭主惣六役は、前回の『浪花の春雨』で侠気ある大工の親方を演じ
登場するだけで若衆から喝采を浴びていたあのカッコよすぎる少年なのではないか、と。
同じようなタイプの役柄ですし、これを演じ切れる子ども役者というのもそうそういないでしょう。
その予感(期待)が的中していたのを十三日番で確認して、またも「ひょっとして」と思いました。

ひょっとして、彼にこの役を演らせるためにこの外題が選ばれたのではないか、と(笑)


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by dendoroubik | 2019-04-22 22:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(0)

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「太刀渡」はこの祭りのルーツとされる行事です。

義家の発議によって創建されたといわれる長濱八幡宮。
戦火によって疲弊したこの神社を再興したのは、この地ではじめて大名になった秀吉です。
八幡太郎義家が八尺の神木を太刀にして「前九年の役」「後三年の役」の凱旋をしたという故事に倣い
秀吉はこの行列を家臣に再現させ、後にこれを「町年寄十人衆」に行わさせ観覧した
・・・という記載が神社の由来書にあるのだそうです。
秀吉が発案した太刀渡に加え、町衆が思い思いの練物で祭りに参加してゆき
江戸時代になると徐々に練物は曳山に集約されていったのだということです。
そして、250年ほどまえから子供歌舞伎がそのうえで演じられるようになってゆきます。

「太刀渡」は「十人衆」より小舟町組(長刀組)へと引き継がれ
戦中、戦後に子供歌舞伎が執行できなかったときにも
祭礼の日にはこの行事はおこなわれていた、という厳粛な中心行事です。


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by dendoroubik | 2019-04-21 21:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(0)

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「弓馬の家に生れ来て、一命を兄頼朝に奉り、屍を西海の浪に沈め ・・・・」

と義経と弁慶が物語りして退散しようとしたとき、ふたたび富樫らが現れます。
「失礼なことをしてあまりに面目ないから、酒を持参した、飲んで下され」と言うのを聞き
弁慶は富樫が自分たちの正体を見破りながら、わざと逃がしてくれたことを悟ります。


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by dendoroubik | 2019-04-20 22:00 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(2)