2018年 10月 09日 ( 1 )

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明治42年、皇太子(後の大正天皇)が福野の農学校へ巡幸された際
村長や校長ら当時のインテリがそれまで「輪島」というタイトルで唄われていた「麥屋節」を
御前で演じるに相応しい歌詞に書き改めたといわれています。
不適切な歌詞を書き直したり、鳥翠台北茎著『奇談北国巡杖記』のなかで
「こきりこ節」の歌詞として紹介されているものから「引用」されたりもしていて
もしかしたら「平家の落人がありし日の栄華を偲んで唄い継いできた」という
歌詞からも読み取れ、ひろく喧伝されているこの唄の背景は「フィクション」なのかもしれません。

黒紋付にたすき掛け、袴に杣刀を差して勇壮に踊る姿、静と動の対比を強調した笠の洗練された動きを眺め
何よりも哀調を帯びた旋律を聞いていると、そんな詮索に意味がないことがわかってきます。
仮に、この唄の背景として知られていることが「フィクション」だったとしても
いま伝承されている唄と踊りが日本人のある種の心性を映し出していることはまちがいありませんし
伝承されつづけることで見る者に感動を日々与えつづけている、その価値が下がるものではないと思います。


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by dendoroubik | 2018-10-09 05:00 | ◇城端むぎや祭 | Trackback | Comments(2)