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赤穂義士

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知り合いの女性のAさんは、戸籍上12月15日生ですが、ほんとうは14日生まれなのだそうです。

彼女の生まれ年の「五黄のイノシシ」は、女性だといわゆる「烈女」タイプの性格になるといわれており
そのうえ赤穂義士の討ち入りの日生まれとあっては、どんな気性の激しい女になることか!
と案じたお父さんが1日遅れの12月15日生まれとして出生届けを出したというわけです。
そのおかげで生来の激しい性格が抑えられたのか、それとも運命に逆らうことはできなかったか・・・

ここではあえて書かずにおこうと思います(笑)


(左上「小松お旅まつり」右上「長浜曳山まつり」左下「米原曳山まつり」右下「垂井曳山まつり」)






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ひと昔まえのように12月14日になるとテレビの時代劇スペシャルで「忠臣蔵」が放映されるということはなくなりましたが
いまでもゆかりの地では赤穂義士を称揚する行事や法要などがおこなわれています。 その数、20を越えるともいわれています。

(左「山科義士祭」右上「大阪義士祭」右下「赤穂義士祭」)

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なかでも「赤穂義士祭」は今年で116回目を迎え、平日でも市民総出じゃないかというくらいの盛大な一大イベントです。
年寄りだけでなく、幼い子供たちや学生たちまでも、浅野家菩提寺の花岳寺の義士墓にお参りする姿に感心したものです。

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内蔵助が隠棲していた京都山科の「山科義士祭」は、規模では赤穂に劣りますが東映の俳優さんたちの劇があったりして楽しい。
昨年、瑤泉院役で行列に参加していた女性があまりに美しかったので、てっきり太秦の女優さんと思い尋ねたら
一般の方だと知りビックリ( ゚Д゚) 子ども歌舞伎もあるのですが最近はホールでおこなわれ、撮影禁止なのが残念です。

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テレビでは最近不人気な忠臣蔵ですが、地歌舞伎ではいまでも見ない年がないんじゃないかというくらいの人気です。
昨年、岐阜県の村国座奉納子ども歌舞伎で見た『南部坂雪の別れ』は、それこそテレビドラマではお馴染みの演目ですが
記憶にあるどんな内蔵助よりもすばらしく、ふと、いまこの役を演じられる俳優がいるだろうかと考えてしまいました。
最近作では堤真一が演じていますが、あれは傍流のコメディで、適役が思い浮かばない、というのが僕の結論です。
もちろん、小中学生と職業俳優とでは演技のスキルは格段にちがいますが、いま人気俳優に求められるものが
内蔵助のような人物造形ではない、ということが、むしろ子ども役者に軍配をあげてしまう要因なのかもしれません。

子ども歌舞伎でダメな内蔵助というのを見たことがありません。

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数ある忠臣蔵のなかで、もっとも上演回数が多いのは、おそらく『仮名手本忠臣蔵』七段目『祗園一力茶屋の場』でしょう。
ここ数年だけでも「小松お旅まつり」(左)「米原曳山まつり」(右上)「垂井曳山まつり」(右下)
「長浜曳山まつり」(トップ右上)で見ました。 前段までのお軽・勘平の悲恋と、低い身分ゆえ妹お軽の命と引き換えに
連判に加えられんとする平右衛門の悲劇が交わり、そしていよいよ心情を吐露する内蔵助・・・ドラマチックな一場です。

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1994年、平安建都千二百年記念で、この『祗園一力茶屋の場』が花見小路の交差点
まさに祇園「一力」のまえで上演されるという快挙がありました。 演じたのは「小松お旅まつり」中町。 
「一生忘れへん。ええ芝居やった」と観覧した人間国宝・井上八千代(京舞井上流四世家元)は労ったといいます。

 食らひ酔うたその客に 加茂川でナ 水雑炊を食らはせい

という内蔵助のラストのセリフもさぞリアルに響いたことでしょう。

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七段目の上演回数には及びませんが『仮名手本忠臣蔵』は
九段目の『山科閑居の場』もたまに上演されます(長浜曳山まつり)。

 忠義にならでは捨てぬ命 子ゆえに捨つる親心 推量あれ由良(内蔵助)殿!

涙にむせ返りながら語る瀕死の本蔵のこのセリフに涙せぬ人はいないでしょう。

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五段目、六段目は有名なわりにはあまり上演されるのを目にする機会がありませんが
数年まえ加賀で「深瀬でくまわし」という、文楽の元祖のような人形芝居を見ました。

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『仮名手本忠臣蔵』の七段目と同じくらい上演回数の多いのは『碁盤太平記 山科閑居の場』でしょう。
赤穂義士の物語を、たんなる三面記事的興味からシリアスな人間ドラマに最初に昇華させた名作です。
近松門左衛門作だけあって、浄瑠璃やセリフがカッコいいことが、頻繁に取りあげられる理由でしょうか。
(左上「米原曳山まつり」左下「垂井曳山まつり:右上「長浜曳山まつり」)
『忠臣講釈真葛ケ原 宅兵衛上使の段』(右下「小松お旅まつり」)のような
マイナーな芸題が取りあげられるのも、忠臣蔵の人気のほどを物語っているように思えます。

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内蔵助などが登場しない、ちがう視点から見た忠臣蔵も芝居や小説に多く『義士外伝 土屋主税』はその代表でしょう。
(左上「米原曳山まつり」左下「小松お旅まつり」右「長浜曳山まつり」)
小説では藤沢周平の『用心棒日月抄』が出色で、夜中に読みだして止められず、徹夜して読み終えても昂奮納まらず
主人公が食べていた湯漬けなどを食べながら書店が開くのを待ち、続編を買いに走った記憶があります(笑)

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どれだけ忠臣蔵が好きなんだ、と呆れられるかもしれませんが(笑)学生時代、あまりこの物語が好きではありませんでした。
忠義のために命を擲つというのがピンと来ず、さぞかし戦時中は持て囃されたんだろうな、と漠然と思っていたくらいです。
しかし、実はその反対だった、と海音寺潮五郎が書いているのを目にして、その後、考えが変わってきました。
週刊誌に『赤穂浪士伝』という史伝を連載中、当局の命により執筆を断念せざるをえなかった、ということがあったそうです。
「国体護持という大義のまえに、武士道などという小義を称揚するなど何事か」というわけです。

(大阪市天王寺区・吉祥寺)

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戦後、日本軍が内外でおこなった残虐行為や捕虜虐待が海外で問題になったとき、日本の武士道まで否定されましたが
「日本軍は武士道というものを否定していたのだ」と海音寺潮五郎は憤慨しています。 その通りなのだろうと思います。
戦後は「封建的奴隷道徳の讃美」「復讐鼓吹の物語」として、占領軍は忠臣蔵の出版を長らく禁止していましたし
徳川幕府だって、たびたびこの物語の上演を禁止しています。 どんな不況のときでもこれを上演すれば大入り間違いなし
といわれたのは、それだけ民衆に支持されていたということで、権力にとっては、いつも煙たい物語だったのですね。

(兵庫県赤穂市・花岳寺)

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「権力に弱いのは日本人の通性だ。観念論的であるのもまた日本人の通性だ。(中略)
しかし、僕は思うのだ。赤穂義士のことは、日本人が歴史上に持っている大ロマンだと。(中略)
だからこそ、これらの事実のなかから数えきれないほどの多数の小説や演劇が出来た。文化の大宝庫である。
これらの小説や演劇をはずしては、日本の文化はどんなに貧しくなるかわからない。」(海音寺潮五郎『赤穂義士』)

(東京都港区・泉岳寺)

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Commented by tora003 at 2019-12-08 20:49 x
忠臣蔵ウイークですね。
今回の記事で驚いたのは「平安建都1200年記念行事」の曳山行事。
小松から運ばれた「お旅祭り」の曳山上で「祇園一力茶屋の場」が上演されたこと。
しかも場所が大星由良助ゆかりの「一力茶屋」前の花見小路というのが凄い。
インバウンドで溢れる現在の祇園では絶対不可能でしょう。

Commented by dendoroubik at 2019-12-08 21:16
☆toraさん

平安建都1200年の曳山集合はスゴイ企画でした
いまなら不可能なことでしょうけれど 当時としても快挙としか言いようがない試みですね
小松の中町はいちばん戸数の少ない町で
今年は非番でしたが 曳き手がいなくて 八基揃えにさえ出てきませんでした
それも含めて奇跡のような出来事でした

今年は紅葉も忠臣蔵もなしの秋冬でした( ノД`)
by dendoroubik | 2019-12-04 19:59 | 番外編 | Trackback | Comments(2)