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左馬之助湖水渡り 後篇

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左馬之助が上陸したといわれる柳ヶ崎には、旧琵琶湖ホテルがあり、前庭はイングリッシュガーデンになっています。
駐車場には左馬之助が馬の繋いだという「駒つなぎの松」なるものとその碑が、誰に顧みられることもなくあります。



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大河ドラマといえば、第1回目の『花の生涯』は、いうまでもなく井伊直弼が主人公です。
舟橋聖一の原作の文庫版あとがきで、娘の舟橋美香子さんがこんなことを書いています。

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「私が小学生の頃は、井伊大老というのは、悪い人で逆賊と言われたと歴史で習っていた」

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舟橋聖一は、戦前からこの小説の構想を抱いていたようですが、戦時中にこんな人物を主人公に小説が書けるはずもありません。

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しかも、彼は水戸高等学校(現在の茨城大学文理学科)出身です。

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戦後まもない昭和27年、小説の新聞連載がはじまりますが、あらぬ心配をかけまいとしてか
連載開始まえのある夜、家族を呼び出して井伊直弼を主人公にした小説を描くと打ち明けたそうです。

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「一期一会」という言葉は、誰でもが知っているのに、誰が言ったのか知られていない言葉の代表かもしれません。
僕もてっきり千利休の言葉だと思い込んでいましたが、これは茶の湯を説いた井伊直弼の書物に出てくる言葉なのだそうです。

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それがあまり知られていない原因は、戦前からある「逆賊」というイメージによるものだ
というようなことを書いている人がいました。 穿った意見ですが、そういうこともあるかもしれません。

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人物像なんて、時代によって転換するものですけれど、地元のヒーローが悪者扱いされるのは心苦しいものです。
『花の生涯』の小説とドラマのヒットに、彦根の人たちはずいぶんと留飲を下げたことでしょう。

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『麒麟がくる』は、ゆかりの地の人々に快哉を叫ばせるものとなるでしょうか? (たぶん、見ないでしょうけど(笑))

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脱線しまくりです。 左馬之助の話でした。

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湖水渡りして坂本城に帰ったものの、まもなく堀秀政勢に取り囲まれ落城。
その際、左馬之助が城の重宝をすべて堀秀政に引き渡した話は「湖水渡り」より有名かもしれません。

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それがしの思う所 かかる重器は命あって持つべき人が持つ間こそ その人の物なれ
決して私人の物でなく 天下の物 世の宝と信じ申す
人一代に持つ間は短く 名器名宝の命は世にかけて長くあれかしと祈る
これが火中に滅するは国の損失
武門の者の心なき業と後の世に嘆ぜらるるも口惜しと かくはお託し申す次第

そう述べて城に火を放ち、自刃したといわれています。 

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すべての重宝を掘秀政に引き渡したとされる左馬之助ですが
たったひとつ手渡さなかったものがあるともいわれます。 光秀秘蔵の愛刀「郷義弘」の脇差。
これを埋めたとされる「タタリ塚」と呼ばれる小さな塚が坂本城址の近くの民家の庭にあります。


Commented by ruolin0401 at 2019-11-10 19:03
今晩は
脱線ではありませんよ。
なかなかの薀蓄と思い感服です。
Commented by dendoroubik at 2019-11-11 02:01
☆素浪人さん

このブログ自体が脱線みたいなものですね(笑)
写真と文章もほとんど関係なく 脱線してますし
by dendoroubik | 2019-11-10 18:00 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(2)