2019年 06月 16日
津沢夜高あんどん祭り
砺波平野(南砺市、砺波市、小矢部市、射水市)には
「夜高(よたか)まつり」と呼ばれる一風かわった行燈まつりがあります。
祭りは夕刻より徐々にはじまります。
あちこちで中、小の夜高あんどんが練りまわされますが本格的なはじまりは日が暮れてから。
夜高あんどんに灯がともされ、若連中が町内の神社へ参拝。
「ヨイヨサ―、ヨイヨサ―」と威勢のいいかけ声で大夜高あんどんが練りまわされます。
「夜高」とはどういう意味でしょうか。
仄聞するところによると「夜高くかかげるもの」というのが語源で
電線が張り巡らされる以前は、高さ10メートルを越えるものもあり
その姿を屋根越しに見ることができるほどだったことがその名の由来とされています。
ただしこれは一説で 「ヨタカ」ではなく「ヨータカ」と発音する人が多いので
何か別な意味を持つ言葉がもともとあって、単なる当て字なのかもしれません。祭りといっても、福野以外の砺波野の夜高まつりは、神事ではありません。
福野の祭り福野神明社の春季祭礼で
5月1、2日におこなわれる夜高まつりがメインの行事に思われがちですが
これは宵宮に相当するもので、3日の曳山巡行が本祭です。
(見物客の数は前者が圧倒的に多いのですが・・・)
砺波・南砺地方で6月に入って田植えが一段落すると休みを取るという意味の
「ヤスンゴト」(休んごと)といわれる習慣があるそうで
この時期に合わせ五穀豊穣を願う田祭りとしておこなわれるのが「夜高」です。余談ですが、越中の東部では「農作業の休みを「盆」と呼び
田植えあとの休みは「ヤスンゴト」ではなく「植付盆」といいます。
風害を鎮めるための二百十日の豊作祈願のための休みを「風の盆」と呼ぶことはよく知られていますね。
この田祭りが砺波の一帯におこったのは室町時代といわれますが
「夜高」としておこなわれるようになったのは江戸時代になってから
起源とされる福野で承応年間にはじまったことが確認されています。その興りは、観光案内なんかを読むと、こんな風に書かれています。
福野町が町建てした2年後の1652年(慶安5年)大火で町全体をほぼ焼失。
すぐさまが町の再建に取りかかりますがその際、神明社が創建されることになり
伊勢神宮の分霊をお迎えした使者が帰途、倶利伽羅峠あたりへ差しかかった頃 夜となり
町民たちが手に手に行燈を持ってこれを出迎えたのが祭りの始まりとされているそうです。
でも、神霊をお迎えした行燈が、なぜ、巨大な行燈山車になったのか、この説明ではよくわかりません。
この間の事情を説明したものが、目につく限りありませんので想像で書きます(笑)
夜高行燈は、車輪がついたソリ状の台車(摺木)に
練りまわすための台棒などをつけた本体と、そのうえに取りつけられた次の4つの装飾からなっています。
*「連楽(田楽)」(摺木の中央に心棒を通して取りつけた箱型の行燈)
*「吊り物」(「連楽」の前後に取りつけられる、さまざわな形の吊り行燈)
*「傘鉾」(「連楽」の上に水引幕を張っって取りつけられる)
*「山車」(最上部に御所車や神輿などを象った大行燈)
このうち「連楽(田楽)」という箱型の行燈が田祭りの原型をなすことは
砺波地方でこの時期に、レンガク行燈と呼ばれる一斗缶くらいの大きさの竹にさした行燈を
こどもたちが持って家々をまわる風習があることからも明らかです。(この風習も「ヨータカ」と呼ばれるそうです)
伊勢神宮からの分霊を行燈でお迎えしたときの美しい光景の記憶が
田祭りの習俗が結びついて、福野では「ヨータカ」が進化していったのでしょうか(想像です)手に持って夜道を照らし神輿を先導した能登半島の笹キリコ灯籠が次第に巨大化し
キリコ祭りになったように、レンガクも幕末へかけて次第に巨大化していったのかもしれません。
あまりに大きくなりすぎて、車輪のついた台車に載せて練りまわすようになったとも想像できます。
では「吊り物」とか「山車」のような造形的な行燈のルーツはどこにあるのでしょうか。
東北から北陸にかけての日本海沿岸には、巨大な灯篭神事がひしめいています。
灯籠行事自体は、日本各地でおこなわれていますが
青森のねぶた、秋田の竿灯祭や同じく能代の七夕行事
新潟の弥彦灯籠、魚津のタテモン、能登のキリコなど
下北、津軽半島から能登半島にかけての密集度と巨大さは、やはり特異です。
それらの行燈行事に影響を受け、巨大化したレンガク行燈に幕末あたりから
明治、大正にかけて「吊り物」や「山車」が付け加えたのかもしれません(想像です)
午後9時、あんどん広場まえで「喧嘩」がはじまります。
二基の大行燈が間合いをとり、機が熟して総裁許が笛を鳴らすと相手目がけて突進。 鈍い音を立てて激突します。
上に入った方は組んだ体勢から前棒をクレーンのように上下させ、相手の釣り物を完膚なきまでに叩き壊します。
総裁許が「止め」と笛を吹くまで破壊はつづけられ、また元の位置まで戻って死闘が繰り返されます。
大行燈を保有する上町、浦町、西町、新西、清水、蓑輪、興法寺の喧嘩は午前零時までつづきます。
「喧嘩」といっても勝敗があるわけではありません。 破壊されている側も
「ヨイヤサー ヨイヤサー」と、まるでそれを鼓舞するかのように躍りあがっていることさえあります。
むかしはどうだったのかはわかりませんが、それぞれ1度ずつ破壊する側とされる側が入れ替わっているように見受けられます。
しかし、それは予定調和というよりも、互酬性の美しさ。
ヨイヤサー ヨイヤサー
津沢あたりか 夜空が燃えるよ
夜高太鼓に ササ 浮かれでる
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u-Brigand at 2019-06-16 23:01
ねぶたの小型版のような祭りなんですね、
元富山県民なのに全く知らなかったです。
元富山県民なのに全く知らなかったです。
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dendoroubik at 2019-06-17 10:40
☆いちやどさん
祭りをおこなう町の単位が
青森や弘前のねぶたのように大きくありませんし
呉西の行事ですのでご存知ないんでしょうか
しかし規模や知名度の大きさ高さは
かならずしも楽しさに比例するわけではないということは
経験から学んだ鉄則です(笑)
祭りをおこなう町の単位が
青森や弘前のねぶたのように大きくありませんし
呉西の行事ですのでご存知ないんでしょうか
しかし規模や知名度の大きさ高さは
かならずしも楽しさに比例するわけではないということは
経験から学んだ鉄則です(笑)
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rinkatuu at 2019-06-22 14:59
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dendoroubik at 2019-06-22 22:29
☆rinkatuさん
夜高まつりってどれもホントにおもしろいですね!
田祭りの伝統と 福野の発祥伝説
日本海沿岸部の行灯行事からの影響
富山のけんか祭りの流れが組み合わさったこの祭りの魅力とおもしろさ
それに比べて 知名度があまりにも低いのが理不尽です
夜高まつりってどれもホントにおもしろいですね!
田祭りの伝統と 福野の発祥伝説
日本海沿岸部の行灯行事からの影響
富山のけんか祭りの流れが組み合わさったこの祭りの魅力とおもしろさ
それに比べて 知名度があまりにも低いのが理不尽です
by dendoroubik
| 2019-06-16 08:00
| ◇夜高祭
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Comments(4)