金勝寺

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つい最近まで、てっきり「金勝(こんぜ)山」という山が滋賀県東市にあるものと思い込んでいたのですが
これは竜王山や冠山などの山系を指す名称で、そういう名の独立峰はないのだそうです。
東大寺を開山した初代別当、金粛菩薩こと良弁開基と伝えられえる金勝寺(こんしょうじ)は
信楽に境を接する竜王山の山中に位置する、というということになります。 山号は金勝山。




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もともの役行者の修行した霊跡であり、養老元年(717年)良弁が開基したとも、それより少し後
天平5年(733年)、聖武天皇が紫香楽宮の鬼門鎮護のため良弁に創建させたともいわれます。
往時は山中に36坊、あたりに25もの別院を有したといいいますから、湖南地方の仏教の一大勢力だったのですね。

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良弁は相模国の柒部氏の出身とも、福井県小浜市下根来生まれとも、はたまた近江国の百済氏の出身ともいわれます。
白洲正子は『かくれ里』所収の「金勝山をめぐって」という随筆のなかで、東大寺開山堂の良弁僧正座像をみて
「この顔は渡来人の顔だ」と喝破し、もちろんそれだけでなく他にも理由を挙げて近江国百済氏出身説を支持しています。

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さすがですね。 僕なんか高校の日本史の教科書でこの座像の写真を見て「高倉健」に似てると思っただけです(笑)
興福寺の阿修羅像は、夏目雅子に似ていると感じていたのは僕だけではないということは後に知ることになりますが
そんな話はどうでもよくて(笑)金勝山だけでなく、阿星山、飯道山といった湖南地方の山々も金粛菩薩の聖地とされ
だいたい東大寺の用材はおおむね湖南地方から調達されており、これだけの大事業を指揮できたのは一帯に根を張っていた
渡来系氏族の棟梁以外にはありえない、と考えるのが常識的な判断ではないでしょうか。

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白洲正子は先の随筆のなかで、金勝山の麓に「金勝族」といって「青銅を業とする集団があり良弁がそれを統率していたのではないか」
と書いています。「良弁が金勝寺を建てたのは伝説かもしれないが、帰化人の彼がそういった人たちを指導したのは想像できる」と。

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山中に36坊の隆盛を誇った往時のこの寺院の姿を彷彿とさせるものがあります。 
わずかに残るお堂の諸仏です。(いずれも写真撮影は不可)
中央の本堂には釈迦牟尼如来坐像(平安期。重要文化財)不動明王立像(鎌倉期) 
良弁僧正座像(安土桃山期)願安法師座像(同) 平成に彫られた馬頭観音もおられます。
その向こうの二月堂には日本一大きい軍荼利明王立像(重要文化財 平安期) これがすごい!

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虚空蔵堂には虚空蔵菩薩像(重要文化財 平安期)毘沙門天像(同)地蔵菩薩像(同)
あまりの密集度に、くらくら眩暈がしそうでした・・・

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Commented by u-Brigand at 2018-11-18 21:52
コントラストが美しいですね。
Commented by dendoroubik at 2018-11-18 21:56
☆いちやどさん

「紅葉の寺」というより「仏像の寺」なんですが
さすがに歴史を感じさせる美しさでした
by dendoroubik | 2018-11-17 05:00 | 滋賀 湖南 | Trackback | Comments(2)