早瀬子供歌舞伎 その1

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不定期なものを除くと全国に「曳山子供歌舞伎」は8ケ所あるのだそうです。

滋賀県の「長浜曳山まつり」「米原曳山まつり」
岐阜県の「垂井曳山まつり」「揖斐まつり」
石川県の「小松お旅まつり」富山県の「出町子供歌舞伎曳山まつり」
埼玉県の「秩父夜祭」そして福井県の「早瀬子供歌舞伎」です。たぶん。

遠方故未見の「秩父夜祭」を除く6つの曳山子供歌舞伎には何度も足を運びながら
県外としてはいちばん近いこのお祭りに、いままで足が向かなかったのは
昭和42年(1967年)ごろから「寿式三番叟」しか上演されなくなった
ということが主な理由です。あと、5月5日という日程が、ほかの多くの祭りと
かち合ってしまうということもあります。これはなんとも致し方ありません。
でも、実際に見ると、これが予想をはるかに越えて見応えのあるものでした。




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瑞林寺の楼門の脇に山蔵があります。 午前9時、ここから老若男女によって曳山が曳き出されます。

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「チョウサジャ」「ヤンヨコジャ」の掛け声で瑞林寺から日吉神社まで曳行されてゆきます。
辻回しなどを見ていると、少し鄙びた漁村とはいえ、やはり曳山行事に特有な「近世的な粋」を感じます。

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それにしても、春祭りといえば「王の舞」と相場の決まっている若狭に
なぜ唐突に曳山祭り・・・それも曳山子供歌舞伎なのでしょうか・・・?

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早瀬地区は、三方五湖のなかでいちばん北端の久々子湖と若狭湾とをつなぐ水道近くに位置します。

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江戸後期から大正時代にかけて廻船を多く備えた水産物の集散地、また稲扱機の生産地として繁栄。
いまはあまり面影は感じられはしませんが、商家や旅館、料亭が立ち並ぶ港町だったといいます。
地元のおやじさんたちに伺ったところによると、この曳山も北前船の船主2軒が建造したものとのこと。

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曳山が最初の執行場所である日吉神社の下へ到着する頃、祭典が終了します。

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この港町ににコレラが猛威を振るったとき区内のお寺の住職が、神仏の祟り故、寺社に稚児歌舞伎を奉納せよ
との託宣を受けそのようにしたところ、たちまち流行がおさまった・・・という言い伝えがあるそうです。
たしかにそういった類のことがあったのかもしれませんが、北前船の寄港地として隆盛を極めていた頃
道楽として曳山が建造され、稚児歌舞伎が取り入れられたというのが実情じゃないでしょうか。
かつては「梅川忠兵衛」なんかも上演されていたといいますから、あまり抹香臭い話は眉唾じゃないかと(笑)

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境内で太鼓の奉納がありましま。

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このあと、神社の坂下に据えられた曳山のうえで、一回目の「壽式三番叟」が奉納されます。

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by dendoroubik | 2018-05-23 23:21 | ◆若狭の祭 | Trackback | Comments(0)