出町子供歌舞伎曳山祭 その4 三町揃い

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「石動曳山まつり」のおこなわれている小矢部市街から砺波市街地へトンボ帰り。
「出町子供歌舞伎曳山まつり」この日4回目の公演「三町ぞろい」になんとか間に合いました。

中央に今年の当番町、左の曳山には義太夫と三味線、左の曳山に鳴り物という豪華な配置です。




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越中には、かつて9つもの曳山歌舞伎がおこなわれていたといいます。

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出町の曳山がいつ頃できたのか正確にはわかっていないそうですが
江戸時代中期の天明年間、西町の曳山からはじまったとする説が有力なのだそうです。
3基の曳山が揃った文化年間には、すでに子供歌舞伎がおこなわれていたようです。

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越中一国で9つもの曳山歌舞伎がおこなわれていたというからには
出町で子供歌舞伎がはじめられたのも、当時の「流行」に乗ったものなのでしょうが
あとの8つの曳山歌舞伎が廃絶して、ここだけ残ったというのは故なきことではないでしょう。

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そのいちばんの理由は、浄瑠璃の盛んな土地柄ということが挙げられます。

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天保の頃、京都で浄瑠璃を学んだ近在のお寺の住職が、出町の若者にこれを伝え
そこから浄瑠璃はこの地に根づいて盛んに行われるようになったといわれます。

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出町では、江戸末期から明治中期にかけて
「一口浄瑠璃知らぬは男の恥」と言われるほ、ど旦那衆の教養として定着していたようです。

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現在でも、子供たちの三味線、浄瑠璃教室などを開くなど後継者育成も盛んです。

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ほかの曳山歌舞伎がつぎつぎに廃絶していったのは
娯楽としての歌舞伎の流行り廃りということなのでしょうけれど
より直接的な要因としては、浄瑠璃の担い手不足ということがあるのだと思います。

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出町では、もちろん義太夫も三味線も自前です。

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自前・・・といえば、こちらではなんと、衣装や鬘などもすべてレンタルでなく自前なのだそうです。

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おそらく、全国の曳山子供歌舞伎でここだけのことでしょう。

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「太十」や「鎌倉三大記」など、頻繁に上演される定番だけでなく
新しい外題も上演されており、昨年の『壺阪霊験記』もたしか初お目見えだったと思います。
三町で三十近くのレパートリーがあるといいいますから、衣装の自前というのはスゴイですね。

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子供役者たちは、その後、口上を述べたり、裏方としてこの祭りに関わっていくのだといいます。

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なかには浄瑠璃や三味線を習う子もいるのだとか。

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すばらしい祭りには、すばらしい背景があるものですね。

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by dendoroubik | 2018-05-10 19:28 | ◆越中の祭 呉西 | Trackback | Comments(0)