長浜曳山まつり 2018 猩々丸「一谷嫩軍記  熊谷陣屋」後篇

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長浜には「ヤマの芸」という言葉があるそうです。

「美しい曳山のうえで、子どもたちの芸を輝かせる」というだけでなく
逆に「子どもたちの芸が曳山の美しさを際立たせる」
・・・そんな外題や演出が好まれ、これを「ヤマの芸」と呼ぶのだとか。
たとえば、今年の出番山でいうと「梅川 忠三郎」のように
設定上、どうしても「茅葺」が必要な場合を除いて
舞台の後ろに衝立や書割を置いたりすることはまずありません。
曳山そのものが芝居の世界と混然一体となって、美をつくりあげてゆきます。

長浜の曳山のなかで唯一、御座船型をした猩々丸の舳先に登り
熊谷次郎直実が法然のもとへ向かうラストシーンは
猩々丸ならではの「ヤマの芸」の極致でしょう。




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敦盛卿の御首に相違なし

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よくぞ討った。

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縁者にその首を見せて名残を惜しませよ。

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陣太鼓が鳴り響き、出陣の用意にと熊谷は退出。

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義経の前から下がったところにあらわれたのは石屋の弥陀六。
弥陀六がじつは平家の武士、弥平兵衛宗清である、と見破り声をかける義経。

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宗清は平家がまさに滅びようとしているのを悲憤慷慨。
平治の乱のころ、平家との戦に負けて追われ
殺されかけていた常盤御前と幼い義経を温情から助けたのは他ならぬ宗清。

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自分が情けをかけさえしなければ、いまの平家の悲運はなかったかもしれぬと嘆きます。

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石屋の親父に渡すものがあるといって、宗清に鎧櫃を渡すよう義経は鎧姿の熊谷に命じます。

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これを娘(実は重盛のわすれがたみ)に届けよというので、宗清が中を改めようと蓋を開けるとそこには敦盛。

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藤の方は思わず駆け寄りますが「なにもない。なにもない」と宗清は押しとどめ・・・

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敦盛の命を助けた熊谷に礼をいうのでした。

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熊谷は義経に暇乞いを願い出て、鎧兜を脱ぐとすでに剃髪して袈裟掛けの僧形。
小次郎の菩提を弔うために武士を捨て、僧侶となる覚悟。 義経も熊谷の心中を察しこれを許します。

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相模、小次郎が生きた十六年はあっという間だったな・・・

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十六年はひと昔。 夢だ夢だ!

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Commented by ei5184 at 2018-04-25 17:12
ラストシーンは泣けますよね~
又もや 松島屋! と、声が掛かりそうでした(笑)
Commented by dendoroubik at 2018-04-25 17:27
☆eiさん

「夢だ夢だ」の名セリフにグッとこない人がいたら
そんな人とは喋りたくありません(笑)

直実を見事に演じたこの男の子
芝居が終わると豪快な笑顔で
この子は千秋楽でも泣かないんだろうなと思ってたら
いちばん大泣きしてて またグッときてしまいました
by dendoroubik | 2018-04-25 16:54 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(2)