長浜曳山まつり 2018 猩々丸「一谷嫩軍記  熊谷陣屋」前篇

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猩々丸(船町組)の外題は『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』

長浜でも太十、一力茶屋とならぶ人気演目なのだそうですが
ほかの地歌舞伎、とりわけ子ども歌舞伎でもしばしば見かけます。
もちろん、超有名な芝居にはちがいありませんけれど
もし物語を予め知らなければ、何をやってるのかわからない複雑な話が
これほどまで好んで上演されるのが不思議な気もします。

浄瑠璃もセリフもカッコよく、何度見てもジーンときてしまうんですけどね(笑)




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花の盛りの敦盛を討って無常を悟りしか さすがに猛きもののふも

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もののあはれを今ぞ知る

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熊谷次郎直実が陣屋へ戻ると、そこにはいるはずのない妻、相模の姿。

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初陣の息子小次郎が気がかりでならず、武蔵国からはるばる陣屋を訪れていたのでした。

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熊谷は女の身で戦場に来るとは何事かと叱責。

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熊谷が敦盛卿を討ったと聞いて驚く相模。

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敦盛卿も小次郎も、まるで嫩(ふたば)のような10代の若者・・・

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・・・と、熊谷は背後からいきなり斬りつけられ咄嗟にねじ伏せれば、それは敦盛卿の母、藤の方。

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藤の方と相模はその昔は主従の間柄。直実にとっても義理ある女性です。十六年ぶりに再会した二人。
今は敵味方ながら、敦盛のことが気がかりで迷い込んできた藤の方を同じ思いの相模がかくまっていたのです。
須磨浦で敦盛卿を討ったという直実を、藤の方と相模は難詰しますが、非情の戦場でのことは致し方なし、と直実。

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敦盛との一騎打ちのありさま、あっぱれなその最期を舞いながら物語ります。

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藤の方を連れすぐにここを立ち退けと言い残し、奥へ退いた直実はふたたび敦盛卿の首が入った首桶を持って現れます。

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ひと目その首を・・・とすがりつく藤の方と相模を
御大将義経公に見せるまでは誰にも見せられぬと突き放し、義経のもとへと行こうとしたところに・・・

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あらわれたのは、義経その人。

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直実は、義経が弁慶に書かせたという制札を引き抜き・・・

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実検のために義経のもとへ差し出し、首桶の蓋を取って捧げ持つとそこには敦盛ではなく、小次郎の首。

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首桶に取り縋ろうとする母ふたりを制札で押しとどめ、この文言に添って敦盛卿の首を討ったと述べる直実。

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一枝を伐らば、一指を剪るべし

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「この桜一枝でも切ろうとする者、指を切って報いられる」と書かれた制札に事寄せて
義経が託したのは皇統に連なる敦盛(この芝居では、彼は白河院の落胤)を討つなという内命。
そう読んだ直実は、敦盛卿の身代わりに、我が子、小次郎の首を討っていたのでした。

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by dendoroubik | 2018-04-24 13:23 | ◇長浜曳山まつり | Trackback | Comments(0)