2017年 02月 15日
竹割り祭り
白山がいちばん美しくに見える町・・・と深田久弥がいう石川県加賀市大聖寺。
その深田久弥の生家、中町から南西へ北国街道をすすむと
敷地天神山の麓に菅生石部(すごういそべ)神社が見えてきます。
この神社で毎年2月10日に行われる「御願(ごんがん)神事」
通称「竹割り祭り」・・・という奇祭です。
「天神さん」という通称は、中世に一帯が北野天満宮の社領であった名残り。
「敷地天神山」という山の名も、その頃につけられたのでしょうか。
ちなみに、京都の「わら天神(敷地神社)」は、夫役として加賀から赴いた人々が
この菅生石部神社の神を勧請したものなのだそうです。
境内には、奉納された青竹がスラリ・・・ちょっと壮観です。
神事のまえに、準備がはじめられます。
奉納された青竹を、鉈で2メートルほどに切り分けてゆきます。
青竹を3本、三角錐に組みあげ、そのまわりを農家から奉納された藁で覆ってつくられる「アズマヤ」
準備が整った午前11時、祭典がはじまります。
祭典が20分ほどで終了すると、おもむろに盤木が鳴り、これを合図にアズマヤに忌火が遷されます。
境内には「2月1日以降、鳴り物禁止」の注意書きが掲示されていました。
10日間もの鳴り物禁止・・・気合いのほどが伺われます。
それまで楼門の外で気炎を吐いていた白装束の若衆が
ワッショイワッショイ、青竹を手に、やにわに境内に駆け込んできます。
そして、準備された青竹をつぎつぎに石畳に叩きつけて割ってゆきます。
ただただ、延々と竹を割りつづけてゆきます・・・
祭りのまえに境内に流れていた解説によると
この竹割りは平和な世でも戦乱に備える心構えを持つように
という天武天皇の尚武の教えに基づくものだということです。
山幸彦(炎出見尊)と海幸彦(酢芹尊)の神軍に倣ったものだとも・・・
なぜそんなことをしなければならないのか釈然としないつまま
しかし、つぎつぎに青竹が叩き割られてゆく光景には、不思議な爽快感があります。
用意された500本の青竹をすべて割り終えると若衆が拝殿に練り込み
大蛇に見立てた長さ約20メートルの大繩を引きずり出します。
境内を出てまた拝殿に戻り、頭と尾の綱引きになります。
神事がはじまるまえ、境内でどんど焼きがありましたので
おそらく小正月の行事のひとつなのでしょうけれど
この大綱がなにを意味しているのか解説はなく、やはり釈然としません・・・
おそらく小正月の行事のひとつなのでしょうけれど
この大綱がなにを意味しているのか解説はなく、やはり釈然としません・・・
ただ、この光景もとてもエキサイティングです。
これを3度繰り返し、大聖寺川へ・・・
敷地橋上より大聖寺川に投げ入れ、終了です。
開始から1時間足らず・・・
10日間にわたって鳴り物を禁止したり、大繩の綱打ち
昂奮と、釈然としない気持ちがない交ぜとなった不思議な印象を残し
祭りの熱が町じゅうに伝導する間もないほど、あっけなく幕切れとなります・・・
青竹の伐採や切り分けなど、長い時間をかけて準備されたものが
あっという間に蕩尽されてしまう見事なカタストロフィ。
昂奮と、釈然としない気持ちがない交ぜとなった不思議な印象を残し
祭りの熱が町じゅうに伝導する間もないほど、あっけなく幕切れとなります・・・
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senbei551 at 2017-02-16 11:33
ブログだけ読んでるともっと長かったのかと思ったら、1時間ほどなんですね。竹500本もあったら3時間くらい割り続けるのかと思いました(笑)
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dendoroubik at 2017-02-17 06:20
☆せんべぇさん
アズマヤの点火 竹割り 大綱・・・
舞台装置や行事の多彩さにくらべて
時間のあまりの短さが なんだか腑に落ちず
その不思議な印象が奇祭たるゆえんかと思ったほどです
行事が短いことはあらかじめ知ってはいたのですが
終わったあとの余韻みたいなものはあるだとうと思ってたら
それもありませんでした(^-^;
アズマヤの点火 竹割り 大綱・・・
舞台装置や行事の多彩さにくらべて
時間のあまりの短さが なんだか腑に落ちず
その不思議な印象が奇祭たるゆえんかと思ったほどです
行事が短いことはあらかじめ知ってはいたのですが
終わったあとの余韻みたいなものはあるだとうと思ってたら
それもありませんでした(^-^;
by dendoroubik
| 2017-02-15 08:00
| ◆加賀の祭
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Comments(2)