豊浜 鯛まつり その2

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巨大なの張りぼてばかりに目を奪われがちですが、祭りの花形はなんといっても「太鼓打ち」の少年たち。

煌びやかな衣装をまとった少年が五色の帯を肩から垂れ流し
笛と小太鼓の音に合わせて優雅に舞いながら行列で、また御仮屋で神に太鼓を奉納します・・・



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4基の鯛みこしは海中遊泳のあとそれぞれの地区へ。

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伊勢音頭を歌ったあと町内練り歩きがはじまります。

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露払いでしょうか・・・先導はどの地区も奇抜な装束の男性ふたり。
厄年の男性が務めますが奇抜な恰好をすればするほどよく厄除けをするといわれるそうです。

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青竹にはお神酒が仕込まれていて軒先で待つ氏子さんへ振る舞われます。

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休憩中に鯛の修繕・・・

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日除けにもなっていました(笑)

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紋付羽織の頭を先頭に太鼓打ちの行列がやって来ました。

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太鼓台の前は小太鼓 後ろが大太鼓。

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太鼓打ちは「男役」と「女役」にわかれていて行列では交替に、神前奉納ではいっしょに打ちます。
「半月」と「中村」、「東部」と「中村」がペアを組み、前者が「男役」、後者が「女役」を務めるようです。

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昭和50年代頃まえでは太鼓打ちは各地域の名家から選ばれ2年間務めていたそうです。

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選ばれた家では京都の業者に依頼して2年間に4着の着物をつくっていましたが
その製作費は家が一軒建つほどのものだったことも・・・

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着物は使い回しされることなく保存され、現存する最古のものは明治38年製。
日露戦争中で漱石が「吾輩は猫である」の連載をはじめた年ですね。

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終戦の年のものもあるというから驚きです。

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『鯛まつり 太鼓打ち衣装』(豊浜まちづくり会 豊浜太鼓打ち衣装保存会 
                 南知多町文化遺産保存活用実行委員会)より

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こちらの先頭は鯛のカブリモノ。

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真夏の昼下がり、ビブラートを利かせた笛の音が漁師町の熱気を孕んだ空気を神秘的に揺らします。

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厳粛な雰囲気を漂わせて行列はすすみます・・・

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鯛みこしが登場するまえは太鼓打ちがこの祭りの中心神事だったのでしょう。

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現在もそうなのでしょうけれど・・・

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御仮屋(御旅所)のある豊浜漁港へ向かいます・・・
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by dendoroubik | 2016-07-26 20:15 | ◆尾張の祭 | Trackback | Comments(0)