2015年 12月 15日
まんが道 前編

富山県高岡市は 藤子・F・不二雄が生まれ育ち、
転校してきた藤子不二雄Ⓐと出会った
「藤子不二雄」コンビのはじまりの場所・・・
藤子・F・不二雄の誕生日12月1日、高岡市美術館2階に
「高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」がオープン。
さっそく行ってきました(笑)
高岡時代をはじめ、貴重な原画や遺品、
藤子・F・不二雄キャラ、
オールスターキャストの上演など展示内容も充実していました。

館内は全面撮影禁止。
入口が「どこでもドア」になっていて、
せめてそこだけでも・・・と受付に問い合わせると、
階段の向こう側から、室内が写らないように撮ればOK
・・・ということでしたので、ここまで。

こちらは、高岡おとぎの森公園「ドラえもんの空き地」


昭和19年9月、藤子不二雄Ⓐ(安孫子)は、
疎開先から、藤子・F・不二雄(藤本)の在学していた
高岡市立定塚国民学校へ転校。
同じクラスになったふたりは
漫画を通じて意気投合。
中学2年の時に、手塚治虫の「新宝島」に
衝撃を受けて漫画家を志します。

中学から高校にかけて、それぞれ単独で
競うように雑誌や新聞に漫画を投稿。
高校2年頃からは合作に切り替え、
稼いだ原稿料を共通の口座で管理。


ギャラを二分するこの約束は、
プロになって早い時期から、お互いが別々に
作品を描くようになっても反故にされることなく、
1988年(昭和63年)コンビが解消されるまで、
なんと40年近くもつづいていたというから驚きです。

しかし、それは・・・
藤子不二雄Ⓐが描いた、ふたりの自伝的漫画
「まんが道」の読者にとっては、
何の注釈もなく納得できることです。
「友情」・・・という言葉では尽くせない
ふたりの不思議な絆が描かれていて、胸を打たれます。

1996年(平成8年)9月20日、
藤子・F・不二雄は新作執筆中、
愛用の三菱ユニBの鉛筆を握ったまま意識を失い、
3日後の9月23日他界。享年62歳。

物心ついたころから、
彼らが神と仰ぐ手塚治虫の作品に、
あたりまえに触れていたものですから、
彼が亡くなったとき、60歳というその年齢が
どうにも理解できなかった覚えがあります。
そんなに若かったのか!・・・と。
藤子・F・不二雄が亡くなったときも、
同じように、その若さに唖然としたものです。