弘前 Ⅰ

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12月はたいていどこへも出かけられず、
自宅と職場を行ったり来たりの毎日です。

そのうちに旅情が募り・・・止み難くなったときには、
ベッドのうえで旅行記を読んだりして、気を紛らせています(笑)

いちばんよく手にするのは、種村季弘が編んだ
『放浪旅読本』というアンソロジーです。

ふらんすへ行きたしと思へど
ふらんすはあまりに遠し


萩原朔太郎の「旅上」から始まって、
家出、無銭旅行、ドサ回り、夜逃げ・・・
古今東西、あらゆる放浪のエッセンスが詰まっています。

読んでいるうちに、抑え難い気持ちが慰撫されて、
そのまま眠りにつくこともあれば、
ますます旅情が募ってしまうこともあります(笑)

(ホントは「旅情」なんてカッコいいものではなく、
たんなる逃避願望にすぎないのですが・・・)

そんな夜更けは、
ほったらかしにしていた旅行の写真を現像したり・・・。



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・・・というわけで、この夏に訪れた弘前の思い出です。


弘前には2日・・・ねぶた祭りを見るために宿泊したのですが、
夜祭りなので、昼間は移動や観光に充てられます。
初日の夕方、弘前に足を踏み入れた途端、
あまりにも町の雰囲気が気に入ってしまい、
翌朝も朝食前、夜明けとともにゴソゴソ起き出して徘徊です。


こちらの土蔵造の建物は「弘前市立百石町展示館」
明治16(1883)年、呉服店として建てられ、
その後、銀行の店舗として使われてきたもの。
平成13年、弘前市に寄贈され、展示館として活用されています。

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1910(明治43)年に建設されたカトリック弘前教会。

祭壇は、1866(慶応2)年にオランダ で製作され
アムステルダムの教会に設置されていたもの。
1939(昭和14)年、当時の主任司祭が譲り受けます。

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1906年(明治39)年に建築された日本キリスト教団弘前教会。
見ての通り、パリのノートルダム教会をモデルにしています。

東北初のプロテスタント教会なのだそうです。

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1920(大正9)年に建設された弘前昇天教会。

これも、弘前に行ったら、ぜひ見てみたかったもののひとつでした。
設計は、京都アグネス教会や、横浜、外交官の家などで知られる、
アメリカ人建築家ジェームズ・ガーディナー。

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1904(明治37)年に建築された旧五十九銀行(青森銀行記念館)
青森が生んだ西洋建築の偉大な棟梁、堀江佐吉の最高傑作、
弘前を代表する洋風建築ともいわれています。

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江戸時代を通じて津軽の中心でありつづけた弘前。

明治4年の廃藩置県の後、紆余曲折を経て、
一湊町にすぎなかった青森にその座を奪われたときには、
人々は忸怩たる思いを抱いたことでしょう。

弘前の明治、大正の近代建築とその保存のよさを見るにつけ、
いまだ中心たらんとする気概のようなものを感じます。

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天井に施されているのは金唐革紙。
建築当時のまま残されているのは、
珍しく、貴重なものだということです。

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1965(昭和40)年、銀行の建替えにより取り壊される予定でしたが、
市民の保存への声が強く、記念館として保存されることに。

その際、元の位置から90度回転させ、
50m曳屋するという荒業が使われたそうです。

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保存、移築といえば・・・

弘前城の南側にある追手門広場には
2棟の近代建築が移築されています。

1906(明治39)年に建設された旧弘前市立図書館。

これも堀江佐吉の設計によるもので、
もとは東奥義塾の敷地内に建てられていました。

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1900(明治33)年に建築された旧東奥義塾外人教師館。

青森県内で最初に開校した私立学校の外国人宣教師の宿舎。

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弘前市内に明治、大正に実在した近代建築のミニチュア建造物群が
現存、非現存を含めて並べられています。

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青森から弘前へ入った初日の夕方、
ネプタを曳きまわす子供たちの後を追っていると・・・

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偶然、行く予定のなかった伊東梅軒宅跡を見つけました。

行きの新幹線で読んでいた司馬遼太郎の『北のまほろば』に
一章を割いて描かれていましたので、
案内板を見て、ああ、ここなのか・・・と。

1852(嘉永5)年、東北遊歴中の吉田松陰が宮部鼎蔵とともに、
勤王と海防の志をもった津軽藩士、伊東梅軒のもとを訪れ、
国事、軍事、教育について論じたといいます。

見学には予約が必要だそうで
室内を見ることはできなかったのですが、
当時から植えられていたというアイグロマツが
美しい樹形で塀に覆いかぶさるように
枝を伸ばしているのが、とても印象的でした。

アイグロマツ(間黒松)はアカマツとクロマツの交雑種です。
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by dendoroubik | 2014-12-27 18:26 | 青森 | Trackback | Comments(0)