ヴォーリズメモリアルin近江八幡 後篇

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1919年、ヴォーリズは子爵令嬢、一柳満喜子と結婚。

翌年、ヴォーリズ合名会社を解散し、
「W・M・ヴォーリズ建築事務所」「近江セールズ株式会社」を設立。
(後に近江兄弟社)



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1921年竣工の八幡郵便局。

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1960年まで郵便局の局舎として使用されていたそうですが、
その後は空き家となって老朽化がすすむなか、
平成9年にまちづくり団体「一粒の会」が保存再生に取り組み、
現在はヴォーリズ展にかかわらず、常時、一般開放されています。

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「八幡堀まつり」という市民イベントでも会場として使用され、
ライトアップされた外観や、薄暗い夜の室内も印象的でした。

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旧市街地の中心にたたずむこの味わいのある建物は、
特徴的な風貌にもかかわらず、
まわりの伝統的な町屋の景観と、
なんの違和感もなく共存しているところがすごい。

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1,500件にものぼるヴォーリズ建築のなかで、
没後50年の今年、彼の手になるものとしては、
はじめて重要文化財指定を受けた、神戸女学院大学や、
同じ兵庫の関西学院大学のキャンパス建築群、
東京の山の上ホテルなどが代表作になるのでしょうが、
関西人、特に京都の人にいちばん馴染みがあるのは、
四条大橋西詰の「東華菜館」(1926年築)かもしれません。

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向いの先斗町「いづもや」さんより、
京都らしい景観を醸していると、僕は思います(笑)

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左の建物は、ハイド記念館(1931年築)
ヴォーリズ夫妻によって設立され、
一柳満喜子夫人が園長となった清友園という幼稚園。
ハイド記念館という名は、メンソレータム創業者ハイド氏の夫人からの
寄付により建てられたことによります。
右はその講堂兼体育館として建設されたの教育会館。
1937年に来日したヘレン・ケラーが
講演をおこなったことでも知られています。

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ヴォーリズ建築の件数がもっとも多いのは、
もちろん彼が拠点にしていた滋賀県ですが、
個人邸や小さな教会などがほとんどで、
規模の大きな建造物はあまりありません。

そんななかで、この2棟は、
県内でも有数の、スケール感に溢れた美しい建物だと思います。

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北陸三県や広島、九州各地などとともに、
浄土真宗の信仰者の多い滋賀県。

もし、日本にマックス・ウエーバーのような思想家がいれば、きっと
『浄土真宗と近江商人の精神』というような本を書いていたのでは(笑)
と思うくらい、両者の思想的な結びつきは強く、
しかも近江八幡といえば近江商人の本丸です。

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もちろん、日本の近代化という時代背景のもと、
西欧の文物や精神を取り入れる下地はあったのでしょうが、
そんな町に、80年ほどまえに
すでにこんな世界が現出していたなんて・・・
ちょっと不思議な気持ちになります。

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ヴォーリズ夫妻が池田町の家を出た後、移り住んだのが、
近江兄弟社学園すぐ近くのこの家です(1931年築)

ここが終の棲家となります。

戦争が迫ると、「敵国」アメリカヘ帰国するか、
このまま日本に留まるかの選択に迫られた彼は、
1941年、日本国籍を取得し、
一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
一柳は妻の姓ですが、ミドルネームは、
「米」国から「来」て「留」まる・・・という語呂合わせ。

帰化後もスパイの嫌疑をかけられ、
官憲につけねらわれることもあったそうですが、
終戦時にはマッカーサーと近衛文麿との
仲介工作をおこなったとも伝えられます。

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日牟禮八幡宮お祭り広場の一角に、
和菓子の「たねや」さんが経営する日牟禮ヴィレッジがあります。
その中にある日牟禮カフェには、
改修された忠田兵蔵邸(1936年築)が残されています。

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「たねや」の主人に、洋菓子をつくることを薦めたのも、ヴォーリズ・・・

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前回のヴォーリズ展には含まれていませんでしたが、
近江八幡市と合併した旧安土町の安土町郷土館(1913年)も
会場のひとつになっていました。

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旧住友財閥の二代目総理事伊庭貞剛氏の四男伊庭慎吉氏の
邸宅兼アトリエとして建設された初期の作品です。

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外観は何度か眺めたことがありますが、内部は今回がはじめてです。
あの煙突は、2階の洋間で、こんな暖炉に繋がっていたのか・・・。

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半日、近江八幡旧市街地あたりをブラブラ・・・なかなかに楽しかったです。

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滋賀県に住んでいると「ヴォーリズ」の名は
自然と耳に入ってきます。抜群の知名度です。

でも、全国的な知名度はどうなのでしょう・・・?

もちろん、熱心な彼の建築ファンは全国に数多くいますし、
各地で記念イベントなどもおこなわれています。
建造物の保存活動なども盛んです。

ただ、彼の業績の大きさにくらべれば、
その知名度は不当に低いようにも思えます。

それは、ある方が指摘するように、
彼が東京や大阪のような都市ではなく、
近江八幡という片田舎を拠点に
活動をしつづけたことによるのかもしれません。

彼は「売れっ子」でしたので、
片田舎に留まりつづけたのは不遇からではなく、
自らの意思によるものでしょう・・・。

ユーモアなのかアイロニーなのか、
それとも本心だったのかはわかりませんが、

「近江八幡は世界の中心」

・・・と、彼はよく語っていたそうです。
その時に欠かさず描いたのが、有名なこのマークです・・・。

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1958年 近江八幡市名誉市民第1号。
1964年 近江八幡の自宅2階にて永眠。83歳。

近江八幡市民葬と近江兄弟社葬の合同葬が行われました。
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Commented at 2014-12-25 09:18
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by dendoroubik | 2014-12-24 14:29 | 滋賀 近江八幡 | Trackback | Comments(1)