2014年 12月 06日
教林坊
京極氏の菩提寺を訪ねた日の夕刻、ライトアップされた紅葉を見に門を叩いた教林坊。
奇しくも、京極氏と同じ近江源氏、六角氏ゆかりのお寺です。
こちらにもまた、遠州の手によるといわれる庭園。
そして、近江のもうひとつのキーワード、聖徳太子のつくった寺・・・
標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の中腹に西国三十三所観音霊場、観音正寺があります。
伝承によれば、推古天皇13年(605年)、聖徳太子が自ら刻んだ千手観音を祀ったのがはじまりとされています。
繖山には、佐々木六角氏の居城、観音寺城があり、中世には、寺は六角氏の庇護を受けて栄えますが
戦国時代には城郭の発展とともに、麓に移転させられて衰微。六角氏の城は、永禄11年、織田信長の軍勢により落城。
慶長年間には再び山上に再興されますが、再び荒廃。明治15年に再興。平成5年に全焼。
現在の本堂は平成16年に新築されたものです。
教林坊は、観音正寺が創建されたときにあったという、33坊のうち、唯一現存する坊舎(塔中)です。
TVで取り上げられたりして、滋賀県では人気の紅葉寺院です。
行った人が必ず口を酸っぱくして誉めるので、いちど行っとかねば・・・と思ってはいたのですが
実際に行ってみると、たしかに雰囲気もあってキレイでした。
ただ、もう少し季節がすすんだ・・・11月の終わりが、12月のはじめの・・・晩秋がもっといいのかもしれません。
白洲正子は『かくれ里』所収の「石の寺」という文章のなかで
観音正寺と教林坊を訪れたときのことを書いています。
その中で、書院西側の庭園のこの巨石を「古墳」・・・だと喝破しています。
(ホントはどうなのかはわかりませんが・・・)
巨石の反対側は石窟になっていて、そのなかに祀られているのが
聖徳太子作といわれる石仏、赤川観音。 これがこの寺の本尊です。
その石室の巨大な蓋石を、そのまま庭石に使ってあるのだが、
不自然でなく、日本の造園の生い立ちといったようなものを見せられたような感じがする
慶長年間に観音正寺が再興された際、この庭園が小堀遠州によってつくられたといわれるのですが、どうなのでしょうか・・・?
平成9年に就かれたご住職が、修復、整備をすすめられ、一般公開に至っています。
ズバリ「演出力」のちがいではないかと思います。
その意味では、こちらのお寺は、京都の観光寺院に引けを取らない魅力を放っています。