2014年 10月 18日
苗村神社三十三年式年大祭 その1

近郷33ケ村にわたって氏子を有する総社です。
春と秋の例祭のほかに、古来、氏子三十三ヶ村列座の大祭が行なわれていましたが
慶長四年(1599年)に33年に一度に改められ

今年の1月、竜王町田中の八幡神社(浄満寺)に「田中の粥占い」という行事を見に行ったとき
前々回の「三十三年式年大祭」の写真を見せていただきました。 66年まえの写真です。
ここに写っている可愛い坊やたちが
粥占いを行っているおやじさんたちなんだなあ・・・・と、不思議な気持ちになったものです。

田中からは曳山や太鼓踊りなども出るよ、とのことで、ぜひ出立式から見たいと思っていました。
苗村神社の氏子区分は「九村」(くむら)(神部、島村、殿村、子之初内、奥村、川上村、駕輿丁村)と
「余郷」(橋本、薬師、小口、岡屋、山之上、葛巻、宮井、外原宮川、蒲生堂、信濃、弓削、山中、七里、
式年大祭の中核をなす「九村」のひとつ「子之初内」(このはうち)は、粥占いの田中と
奉納芸などは合同で行います。
写真で見た子供たちが集合する綾戸の氏神さん、綾之神社へ行ってみると
ちょうど御榊に綾之神社の神霊を遷す神事が行われていました。


ついに色彩をもって目のまえに現れ、ちょっと感激してしまいました。

つづいて、山車のうえで人形芝居がはじまりました。

のちほど、苗村神社で再演されたときの解説によると、この土地を拓いた先人たちの勤勉さを表わしたものだそうです。

ふたりの女性が登場します。
瓢箪でナマズを捕まえる、というのは禅の公案ですが、彼女たちはそれを実地でやってしまいます。

実は女は大蛇であることを暴く・・・というお話です。

御榊を先頭に、出立です。




おそらく室町時代に創建された本殿は重要文化財。
県道をはさんで、立派な楼門をもつのが西本宮。
国狭槌命(くにのさづちのみこと)を祀り、本殿は国宝。
延喜式神名帳にも長寸(なむら)神社として列座された式内社です。

余郷の御榊も、つぎつぎに宮入りします。



茣蓙を背中に纏ったこの装束が気にかかります。


九村の5基の山車も楼門まえの馬場に揃いました。

10時からの式年祭のまえに、
ふたつの氏子の古式催しが行われます。

まず、最初に島村(島)のせんにち踊り。

太鼓と鉦を先頭に、男の子と女の子が列になって踊ります。

つづいて、殿村・川守の猩々踊り。


うしろには八幡山が控えています。

午前10時から三十三年式年祭が行われます。

神事は1時間ほどつづきます・・・。

その間の、まわりのまったりした雰囲気もいいですね・・・。
(「その2」につづく)
なるほど33年に一度という微妙な数字の意味がわかりました。
しかし慶長年間から数えてまだ13回目ですか^^;
伝統を受け継ぎ未来に伝えるのも大変ですね^_^
13回という数が正しいとすれば
一度も途絶したことがない計算になりますね
これがスゴい\(^o^)/
年表を確認すると前々回は戦後で
その前は第一次世界大戦の直後
うまく太平洋戦争をかわしていました(^-^)
天保から明治の半ばにジャンプしたり
33という数字はなかなかスグレモノのようです!