2014年 08月 22日
弘前ねぷたまつり 天の巻
やーやどー やーやどー
勇ましい掛け声と、地鳴りのようにうねる太鼓の響き。 扇形のねぷたが北の城下町をゆきます。
「弘前ねぷた」は出陣を、「青森ねぶた」は凱旋ををあらわす・・・そんな風にいわれるそうです。
どういった根拠があるのかはわかりませんが、威風堂々とした弘前の運行を見ていると
きっとそれにまちがいない、と思えてきます。
8月1日から7日まで7日間にわたって青森県弘前市の市街地で繰り広げられる「弘前ねぷたまつり。
3日目の8月3日にお伺いしました・・・。
弘前藩津軽氏4万7千石の居城、弘前城。
堀や石垣など、城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ
二の丸辰巳櫓、 二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓、 二の丸南門 、二の丸東門 、三の丸追手門
北の郭北門、弘前城三の丸東門 、8棟の建築と天守1棟が現存します(現存12天守のひとつ)。
司馬遼太郎は『北のまほろば』のなかで、弘前のことを「物持ちのいい町」と書いていますが
城下町には伝統的な建造物や、多くは明治時代に建てられた近代建築が
あちらこちらに残っていて、歩いているだけで楽しい・・・。
街角では美女の奏でる津軽三味線・・・
ホテルで荷を解き、夕刻、会場へ向かう途中、子供たちが小型ねぷたを曳く姿を見かけました。
合同運行にはふたつのコースがあって、この日は、桜大通り から一番町
下土手町、中土手町 、土手町十文字 を曳きまわす土手町コース。
お城の東側、お濠沿いの追手門通りに、ねぷたが出陣を待っています・・・
午後7時・・・
直径3.3mの巨大な「津軽情っ張り大太鼓」(つがるじょっぱりおおだいこ)を先頭に、合同運行がはじまります。
「情っ張り」は「剛情っ張り」の意味で、負けず嫌いの津軽人の気質を表すといわれます。
「情っ張り大太鼓」のネーミングは、三代藩主信義公の、こんな情っ張りぶりからきいるといわれます。
江戸城年賀の式に登城した信義。
控の間で諸侯が、加賀百万石の六尺大太鼓の噂をしています。
あれこそ天下一であろうという大名を制してせせら笑い、
「その程度の太鼓は津軽では子供の玩具。城内の櫓太鼓は十尺に余る」
・・・と、つい大言壮語してしまいます。
雪解けを待って実否を確かめようということになり、言い過ぎた・・・と悔いるも後の祭り。
雪解けを待って訪れた検使の面々もこの大太鼓には、唖然として言葉もなく
この伝説に基づいて、昭和45年4月に作られたものだそうです。
町名印の高張り提灯が掲げられ、町内役員の方々が先陣を切り
扇灯籠や角灯籠をもつ子供や女性、小さなねぷた(前ねぷた)のあとに囃方
よく知られているように、青森は「ねぶた」 弘前は「ねぷた」と呼ばれます。
nebutaもneputaも「眠い」の訛りとしたうえで、「ねぶたい」と言うか、「ねっぷたい」と言うか
両地域の言葉の微妙な違い・・・と説明するものもありますが、実際はそんな顕著な方言の違いはなく
だいたい、現地の方々はふたつの言葉を厳密に区別したりしない・・・と仄聞しました。
五所川原出身の歌手、吉幾三が、『立佞武多』という唄を歌っていますが
聴いていると「bu」にも「pu」にも聞こえますね。
1980年に重要無形民俗文化財に指定されたとき、それぞれそういう名称で登録され
あたかも別モノであるかのように認識されるようになってしまった・・・というのが実情らしいです。
ただ、ふたつの祭りを見比べると、受ける印象には際立った違いがあります。
まず、ねぶた(ねぷた)の形が異なります。
「青森ねぶた」では「組ねぶた」(人形ねぶた)が主流なのに対し、「弘前ねぷた」は扇形が主流です。
ただ、これは明治以降の風潮で、それ以前は、青森と同じように、組ねぶたや行燈形のねぶたが運行していたようです。
なぜ、明治以降の弘前で扇形のねぷたが主流になったのかはわかりません。
津軽統一を果たした津軽為信の幼名が「扇」だった・・・ということに由来するという説もあるそうです。
市勢の衰えとともに、簡易な扇形が主流になった・・・ということも考えられなくもありません。
しかし、弘前ねぷたの幻想的な運行を眺めていると
どうしても、そんなマイナスの要因ばかりでは推し量れないものがあるように思えてきます。
この町の人々の心情に共鳴する魅力が、扇形のねぷたにあったにちがいありません。
経済的な理由だけが扇形ねぷたを生み出したのだとすれば
戦後、観光資源として注目されるに従って、青森のねぶたが巨大化していったように
弘前のねぷたも、組ねぷたに戻っていてもおかしないですね。
扇形ねぷたのどこが魅力かといえば、まず、描かれる絵柄の美しさが際立つところでしょう。
これは、逆に、組ねぷたでは出せない魅力ですね。
たとえば、こちらは前ねぷたが4つあり、(5つだったかな・・・?)子供たちが曳きまわして乱舞します。
図案は、ほとんどが「三国志」か「水滸伝」から採られています。
ひとつひとつが何を表しているのか、読み取ることはできませんでしたが
暗闇にくっきりと浮かびあがるさまは、艶めかしく、幻想的でした・・・
(「地の巻」につづく・・・)
八尾からお帰りなさい(笑)。
まずは、弘前~青森のねぶた&ねぷた三昧の記事を拝見します☆☆☆
弘前のねぷたは見に行ったことが無いんですが、
お写真を拝見していてまず思ったのは「絵が綺麗!」でした♪・・・途中まで読んでたら同じ事書かれてましたね(^^;)
そしてじょっぱり大太鼓がデカいっ!!!
やはり弘前のねぷたも生で見なければ!ですね❤
おはようございます!
青森ねぶたは過剰なカラス対策のためか
予想していたほど熱狂できませんでした
「あれ? もう終わり・・・?」
という感じで・・・
弘前ねぷたは ハネトこそいませんが
囃子方の盛りあがりは青森以上に感じました
弘前は情っ張り太鼓
青森は出世太鼓
五所川原はあすなろ太鼓
が登場するみたいですね
弘前はそれ以外の太鼓も多く
女性がもろ肌脱いで打つ姿がメッサ カッコよかったです!