2014年 07月 22日
大船鉾 曳き初め

モノゴトが始まるときの、あのソワソワ落ち着かない心のざわめき・・・
観光客馴れしているはずの京の町衆のどこか浮足立った立ち居振る舞いに

神輿をお迎えする前(さき)の祭と、お送りする後(あと)の祭。
昭和41年に、7月17日の1日に統合されて以来、今年、半世紀ぶりに後の祭が復活。
この日は、後祭に巡行される3つの鉾と、浄妙山、黒主山、役行者山、鈴鹿山、八幡山、
5つの山建てがおこなわれていました。

なんといっても、今年見ておきたかったのが、
禁門の変による焼失以来、150年ぶりに復活した大船鉾の曳き初めです。

それ以前にも、応仁の乱、天明の大火で2度焼失。 3度目の復興ということになりますね。

同じ新町通りの綾小路をはさんで南の船鉾は前祭、北の大船鉾は後祭に巡行。
ともに神功皇后を祭神とし、前祭の巡行は神功皇后の出陣
後祭の巡行は凱旋に擬えられていたようです。

正午すぎに到着。
祭り見物の先達、敬愛するtoraさんと落ち合い、錦市場でビール片手に祭り談義(笑)
この日の京都は朝から梅雨明けを思わせる青空。
ところが、呑んでいた店から出るとまさかの大雨。
南の空が明るかったので、すぐに止むだろうと、喫茶店で休んでいるうちに再び晴天に・・・。

予想をしていたものの、2時前にふたたび戻ると黒山のひとだかり・・・。


四条通を越えて、錦小路まで曳行される予定でしたが
あまりの観衆の多さで四条通りの手前で進めなくなり、急遽、引き返すことに・・・。

と、ここでふたたび、雨粒が・・・
青空が見えていたので、電線に残った雨の雫が落ちてきたのか

波濤を掻き分けて船出するようです。


ふたりの音頭とりの青年の気合いのこもったかけ声が胸を打ちます。

高辻で折り返して、会所まで戻り終了。
この頃には、すっかり雨もあがっていました・・・。

職人さんたちは「末代までの名誉だから」と、材料費以外の手間賃を一切受け取らなかったそうです。
E la Nave Va



今年は、祇園祭の一連の行事のなかで、この日しか見物することができませんでしたが、
「あー、祇園祭」・・・という雰囲気は満喫できました。



エンヤラヤー


・・・・・・はい、では続きっ!!! ←今回も唐突やなw ぁ、前回レポの 【宵山】編 は こちら⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/kabukiti_spanish/55790250.html 今回も祇園祭全体についての説明は割愛(^^;) 詳しくは↓こちら↓をご覧ください☆ http://www.kyokanko.or.jp/gion/ ...... more

冒頭の音頭取りの写真がお見事、よく撮れましたね。
只今写真のチェック中ですが頭、頭、頭・・・ムムム・・・
アップできるような写真ないで~
写真はさておき、冷たいビールを飲みながらの祭り談義は楽しかったですよ。
「昭和残侠伝」や「緋牡丹博徒」の話題もね・・・(笑)
思い返せば・・・
見物時間より 呑んでた時間の方が長かったのでは(^-^;
貴重なお時間をジャマしてなかったかと心配です(>_<)
・・・というかジャマしてましたよね(^○^)
でも 楽しかったです!
写真を撮ることよりも
心も身体お祭りに染めあげられる瞬間の方が貴重だ!
・・・みたいなお話しをしましたね
大雨が降ってきてカメラをバッグにしまいながら
まさにそんな瞬間かなとドキドキしてました(^o^)
しばらくして雨がやんで
またこんなヘタクソな写真を並べてしまうことになりましたけど(笑)
その時は、大船鉾のご神体が唐櫃に納められて巡行して、「再来年には屋形が復活する」と話しを聞いて、
「あんな大きな鉾を作るのって手間もお金もすごいかかるのに・・・町の人たちはよく復活させることを決意したなぁ・・・すごいなぁ・・・」なんて感動したのですが、
ここでお写真を見せて貰えてさらに感動です!
音頭取りさん、気合いが入っていて美しいですね!!!
そして、職人さんたちが材料費以外を一切受け取らなかったと云うのが、、、ものすごくカッコ良いけどなかなか出来ることじゃないですよね。。。
携わる全ての人にとって誇りなんだろうな~って思いながら記事を拝見しました♪
ありがとうございます☆
ぁ、一昨年の祇園祭の記事、トラバして良いですか?(^^*)
職人さんの話もそうですけれど
なかなかできないことができてしまうのが祭りですね!
やっぱりそういう心意気みたいなものが
ザ・祭り・オブ・祭り 祇園祭に限らず
祭りのいちばんの魅力じゃないかと僕は思います
大船鉾そのものよりも
音頭とりの青年の上気した顔や
鉾にのってる方々の 嬉しくて仕方ない・・・といった表情が
見ていて感じるところが多かったです
トラバ ありがとうございます^-^)/