2014年 04月 11日
若狭 宇波西まつり その1「王の舞」
4月8日、福井県三方上中郡若狭町
宇波西神社の春祭りを見物しました。
この祭りでおこなわれる「王の舞」「獅子舞」「田楽」は、
「宇波西神社の神事芸能」として、
国の選択無形民俗文化財に指定されています。
若狭には、平安末期から鎌倉時代にかけて、
京や奈良の大社寺で盛んに演じられた
王の舞(竜王の舞)とよばれる伝統芸能が
多く伝承されています。
若狭の荘園の領主になった、それら大社寺によって
鎌倉時代以降、もたらされたものともいわれます。
若狭町では、宇波西神社以外にも10の神社、
美浜町の2つの神社、
敦賀市、小浜市、高浜町の神社で、
それぞれ伝承されています。
午前10時頃、到着すると、
境内から、楽しげな笛と太鼓の音色が聞こえてきます。
華やかに飾り付けられた山車。
下部に取り付けられた太鼓を、
着飾った4人の子どもたちが、
代わる代わる打ち鳴らしてゆきます。
交代するときに、
くるんと身体を回転させる仕草が、
とても可愛らしかったです。
舞楽・・・ちょっと退屈なものかな、
と、思わないでもなかったのですが、、
もう、このお囃子を聴いただけで
盛りあがってしまうから単純です(笑)
10時半から、神事、式典がおこなわれます。
宇波西神社(うわせじんじゃ)は、
かつては北陸道唯一の官幣大社として栄えた式内社。
中近世には春日大社の荘園の鎮守社でもありました。
祭神は、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)。
ひきつづき、拝殿で「浦安の舞」が奉納されます。
つぎの>王の舞までは、少し時間が空きます。
獅子舞、田楽を演じられる方々の着替えもはじまります。
王の舞の舞の舞人の支度だけは、
部外者の立ち入れない「王の舞堂」で
ひと知れず行なわれます。
12時半、本殿の石段に、
警固、御幣さし、世話方などが集まります。
神刀を両手で頭上に掲げているのは、
出神家(渡辺六郎右衛門)の当主。
このポーズのまま、
神事が無事終わるまで見届けるのです。
御幣を捧げ持った稚児が、ふたりの警固にともなわれ、
太鼓橋まで、舞人を出迎えにきます。
王の舞堂の前では、
不思議な太鼓が打ち鳴らされていました。
先ほどの子供たちと代わり、
烏帽子を被った青年が太鼓を打っているのですが、
ひとつ叩くごとに、バチの柄の部分で、
地面に一文字を刻み込んでゆくのです。
舞人の登場です。
鳥兜に天狗のような鼻高の朱面、
真っ赤な袷を着て、
ダテサゲという前垂れを垂らしています。
紫の手袋をした手には、2メートルほどの鉾。
舞人が前へ進むのに合わせて、
太鼓も前へ移動されられてゆきます。
・・・というか、太鼓は舞人を先導するものかもしれません。
裃姿の警固に囲まれて、舞人が本殿に正対します。
王の舞がはじまります。
五方に力強く鉾を突くように舞う「三遍返し」。
ゆったりとしたテンポで、境内を舞ってゆきます。
この王の舞は、海山、北庄、大藪、金山の
各集落が交代で奉仕されているのだそうです。
舞の間中、おおぜいの警固が
人を寄せつけないように舞人のまわりを取り囲みます。
舞人を転倒させると豊年になる
そんな言い伝えがあり、
隙を伺って襲いかかる者があるのです。
実際、この日も何度か、奇声をあげながら、
舞人に襲いかかろうとする人が、
取り押さえられるシーンがありました。
おそらく、これは申し合わせたパフォーマンス。
滋賀県竜王のケンケト祭りでも、
「イナブロ」と呼ばれる幟の道中で、
これを引き倒そうと襲いかかる者があると、
長刀を持った兵士が警固する、という場面があります。
どういう意味があるのかわかりませんが、
いずれも様式化された美しい舞の途中で、
こうした思いがけないアクシデントが挿入されると、
祭り全体のスケール感が、グッと増すものですね。
境内を一周し終えると、ふたたび本殿に正対し、
身を反らせたり、何かを掴もうとするかのような動作を繰り返します。
観光案内などを読むと、この舞は、
これから始まる農耕に先立って
大地の精霊を呼び覚まし
豊穣を祈願するもの・・・とあります。
そういえば・・・まるで時空を賦活し、
春を呼び覚ますような緊迫感が漲っていました。
舞は、40分ほどつづきます。
それまで、ゆったりとしたテンポですすんでいた舞は、
最後に思いもかけない展開に・・・。
稚児を抱いて石段下で舞人と正対していた男性が、
舞人から鉾を受け取って、またもとの場所に・・・。
素手になった舞人は、
今までのスローテンポを打ち破るように、
急激なジャンプを繰り返しながら、
石段下までやって来るのです。
「雀踊り」と呼ばれるそうです。
序破急・・・というのでしょうか・・。
息を呑みました。
石段下まで到着すると、
本殿へ向かって合掌するような仕草をして終了。
拍手喝采です!
王の舞の起源については、こんな説もあります・・・。
かつてこの地で人々を困らせた暴れ牛をなんとか追い払おうと、
人々が天狗の面をつけて雄壮な踊りを見せたことが始まりだ、と。
ひきつづき、獅子舞、田楽が奉納されます・・・。
by dendoroubik
| 2014-04-11 12:00
| ◆若狭の祭
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