2014年 03月 26日
あいの土山斎王群行
滋賀県甲賀市土山。
今年で17回目を迎える、「あいの土山斎王群行」がおこなわれました。
斎王は、、伊勢の斎宮御所へ遣わされる天皇の名代。
天皇が即位されるごとに、未婚の皇女または女王の中から卜定され
皇祖、天照大神をはじめとする神々にお仕えするものだったそうです。
それまでにも斎王の前例はあったそうですが、
制度として定められたのは天武天皇の御世。
以降、600年以上にわたり、67名が斎王が、都より伊勢へ遣わされます。
都が京に遷り、鈴鹿峠を経由する阿須波道が拓かれて以降、
近江を横切って伊勢へ向かう群行ルートが定着します。
京から伊勢までは5泊6日の旅。
頓宮と呼ばれる宿泊所は、近江に3つ(勢多、甲賀、垂水)
伊勢に2つ(鈴鹿、壱志)あったとされています。
ただ、その度に造られては取り壊されるものなので、
遺構はなく、場所の特定が困難で、
5つの頓宮のうち、国の史跡指定を受けているのは
鈴鹿峠を控えた、土山の垂水頓宮だけだそうです。
この文化遺産を内外に知らしめんがために、はじめられたのが
見たことはないのですが、同様のイベントは京都嵐山(「斎宮行列」)と
頓宮のあったとされる三重県多気郡明和町(「斎王まつり」)にもあります。
「斎王」というのは、それほどロマンを掻き立てるものなのですね。
小学校の前庭で禊式がおこなわれた後、斎王が御輿に乗り、群行がはじまります。
ここから、垂水頓宮まで、旧東海道沿いを約3キロの道中になります。
80人ほどの従者とともに、旧東海道を東へすすみます
当時の松並木が残る街道・・・
諏訪神社で休憩。
童女役の女の子たちによる、道中舞が披露されます。
近江に5つある東海道の宿場町のうち
土山は、伊勢、坂下宿から、難所鈴鹿峠を越えて、最初の宿。
坂は照る照る 鈴鹿は曇る
あいの土山 雨が降る
歌詞の意味はよくわかりませんが、
「あいの土山」という愛称はこの「鈴鹿馬子唄」からとられています。
しかし、この日は「雨が降る」どころか雲ひとつない快晴で
群行の方々にとって、3キロの道中は、さぞたいへんだったことでしょう。
地安禅寺まえで、再び休憩。
真正面から照りつける太陽が眩しそう・・・
采女、女嬬役の女の子たちによる、道中舞が披露されます。
土山といえば・・・
小倉在往時代の森鴎外が立ち寄った場所として
記憶されている方もいるかもしれません。
石見国津和野の藩医だった鴎外の祖父、白仙は
万延元年(1860)、藩主の参勤交代に随行して江戸へ出向。
翌年帰国の際に発病し、土山宿の井筒屋で急死。
津和野へは遺髪のみが届けられ、遺骸は常明寺の墓地に葬られます。
鴎外が生まれる前年のことです。
明治33年、軍医部長会出席のため上京の途中、鴎外は土山に立ち寄り
無縁仏になりかけていた祖父の墓を探し当てます。
鴎外は、常明寺の境内に墓を修し、土山に一泊し、東京へ向かいます。
遺言により、祖母と母も、土山の常明寺に葬られますが
昭和28年、3人の墓は故郷、津和野永明寺へ移され、
現在常明寺境内には、鴎外の子孫が建立した供養塔だけが残されています。
群行は、常明寺や井筒屋跡は通らず
手前を北上し、国道1号線を横切って頓宮跡へ向かいます。
茶畑に囲まれた頓宮跡に到着。お着き式がおこなわれます。
呈茶式、お着きの舞が披露されて終了です。
天気もよくて、旧東海道を群行とともに歩いくのは、とても気持ちよかったです。
資金面など、これからの運営もたいへんでしょうが、ぜひ、つづけていただきたいものですね。
なかなか遠くて行けないなぁと思いつつ、こうやって写真で見せていただくと、まったりと美しいものを楽しむことができて、いい行事だなぁと思います。
気持よさそう(^^)
えっ! こんなイベントまでご存じなんですか?
滋賀県民もあんまり知りませんよ(笑)
出演者は一般公募ですが
三重や京都の方もおられたので
知る人ぞ知る・・・なんでしょうか
今年の斎王役は 地元の女の子でしたが
とてもよく似合っていて感心しました
それにしても・・・
片道3キロほどの道中とはいえ
終わって駐車場まで引き返すので
往復6キロ歩いたことになります
おかげで未だに筋肉痛で
階段の昇り降りに苦労してます(笑)