2014年 03月 16日
近江八幡左義長まつり 2014 その1「自由げい歩」
「湖国に春を告げる祭り」・・・
近江八幡の「左義長まつり」へ。
3月中旬の週末のおこなわれるこの祭り、
いちばんの見所は日曜日の「ケンカ」や、
その夜の「奉火」だと思うのですが、
今年は都合がつかず、土曜のみの見物となりました。
「自由げい歩」から「宮入り」、
「渡御」の途中までを見てきました。
旧市街地の家屋の軒下には、
この祭りのときに掲げられる赤い短冊(十二月)が、
時おり吹く風にたなびいていました。
近江八幡市の旧市街地の町割は、豊臣秀次により、
八幡城の城下町として整備されたものですが、
秀次の移封にともない京極高次が入城するものの、
わずかその5年後には廃城。町も衰退します。
江戸時代、中、後期の面影を残す町並みは、
その後、繁栄した近江商人が築き上げたものです。
彼らの本宅のあった新町や永原町には、
格子戸や、貫見せ、犬矢来
小屋根のうえには鍾馗さん、
見越しの松と虫籠窓、
屋根にはうだつがあがり、
電柱や看板さえなかったら、
まるで時代劇そのままのような区画もあります。
どこまでがホントの話なのかは詳らかにしませんが、
近江八幡にこれだけ赤色がフィーチャーされているのは、
織田信長の赤好みを受け継いでいるからだ、とよく言われます。
近江八幡では、コンニャクも赤いですね(笑)
全国各地で「左義長」とか「どんど(焼き)」
と呼ばれる行事がおこなわれていますが、
近江八幡でこのような特異な祭礼に発展したのも、
信長の影響・・・という説が喧伝されています。
安土城下でおこなわれていた左義長。
城主の信長が、正体を隠す為に、
奇抜な衣装、ドハデなメイクで、
町衆の輪のなかに躍りこんだのが起源だ・・・と。
近江八幡左義長まつりで、
踊り子たちが仮装することが多いのも、
その風を受け継いだものだと説明されています。
安土城が廃城になり、
その城下町の商工業者たちは、
秀次が築いた、隣の八幡城の城下町に集められます。
八幡山の麓の日牟禮八幡宮では、
古来より壮大な松明まつりがおこなわれており、
安土より移住してきた人々は、
これに参加したい旨、申し入れますが、
松明をたてる場所もなく、
新参者ゆえに断られてしまいます。
仕方なしに時機をズラしてはじめられたのが、
この左義長まつり・・・といわれます。
ひとつの神社で、これだけ規模の大きい火祭りが、
1ケ月の間隔でおこなわれるというのは、
全国でも類がないんじゃないでしょうか。
「八幡まつり」の歴史は1000年以上。
400年以上の歴史がある「左義長まつり」が
いまだに「新参者」という構図がすごいですね(笑)
現在も、住む地区によって
「八幡まつり」と「左義長まつり」に画然とわかれ、
祭礼の際には、消防などでお互いに協力し合っているそうです。
ワラで編んだ3メートルほどの
三角錐の松明が左義長の本体。
その上に竹を立て、「十二月」と呼ばれる赤い短冊、
薬玉や巾着などの装飾を取りつけます。
左義長の中心には、「ダシ」と呼ばれるものが取り付けられ、
その年の干支のつくりもの(「ムシ」)が据えられています。
「ダシ」は、すべて
食材のみでつくられているというから驚きです。
たとえば、宮内町のこの「ダシ」の材料は、
青貝、寒天、道明寺粉、ザラメ、アラザン、
ふかひれ、葛きり、共白髪、綿花、のり、するめ、
・・・と、貰ったビラにあります。
それぞれ、地区の思いを託してつけられた
タイトルもあり、こちらは、
「白馬の節会に ~瑠璃の切子に輝く未来を~」
日曜の「ケンカ」ではボロボロになり、
その夜の「奉火」では燃やされてしまうこの「ダシ」、
各地区毎の制作費は、毎年数十万円といいます。
出来栄えを競うコンクールもあり、
各地区の威信をかけて製作されます。
各左義長宿も、ハレの日ならではの、
どこか華やいだ雰囲気。
午前中、町内を練り歩く「自由げい歩」がおこなわれます。
祭りといえば、酒はつきものですね。
これは、左義長の地区の友人に聞いた話で、
しかも、かなり昔のことなので、現在はどうか知りませんが、
左義長の翌日に限っては、
生徒が二日酔いで、授業中に眠っていても、
とくに教師に咎められることはなかった・・・と。
いや、昔の・・・聞いた話です。
差し支えがあれば、申し訳ないです・・・。
どこを見ても、装飾の主旋律は赤(笑)
拍子木を打ち鳴らす子供を先頭に、
大きな十二月、左義長が練ってゆきます。
チョーヤレ! チョーヤレ!
ミニスカポリス(?)も赤(笑)。秀逸!
伝統的な日本家屋のなかに、
W・M・ヴォーリス設計の洋館が混在するのが、
近江八幡の町並みの魅力ですね。
メンタームでお馴染みの近江兄弟社まえのヴォーリズ像。
池田町の洋館街を、左義長が練ってゆきます。
どこか不思議な光景・・・。
今年、一番クジを引いた本町が、
日牟禮八幡宮に近づいてきました。
マッセ! マッセ!
鳥居前で左義長を回転させてゆきます。
盛りあがる瞬間ですね。
八幡堀に架かる村雲橋をわたって、宮入りしてゆきます。
この八幡堀は、昔、埋め立ての計画もあったそうですが、
地道な住民運動で計画を覆し、保存に至ったという、
いわば近江八幡市民のシンボルです。
いやー、埋め立てられなくて、ホントによかったです!
(その2につづく)
見てきましたが~孫がいるので通りすがりに撮って歩くみたいな
感じなのでゆっくりは見られずじまいでした。
人が多くてね~人酔いしましたです^^;
般若の山車なんてあったのですね。見てない山車もたくさんあります。
歌舞伎役者のような警備神役さんの姿に拍手です(笑)
土曜日の方がゆっくり撮れそうですね。町屋とかの風情も素敵な撮り方。
構図にいつも惹かれます~色々勉強させてもらってます^^
やっぱり左義長は日曜日ですね!
土曜は左義長が勢ぞろいするので
ダシを見るにはいいですね
渡御や自由げい歩のときには見物人も少ないので
背景を自由に選べるのもいいですが
やはり ケンカや奉火を見たかったです・・・
警備神役のカブキ者は
昼過ぎにはもう酔い潰れてはりました^-^;
ふなっしー ミニスカポリス ボーリングのピン・・・
仮装した踊り子が真面目な顔して山車を担いだり
ケンカしているのが なんともおかしいですね(笑)