2013年 11月 30日
酒井神社のまいどこ神事
滋賀県大津市下阪本の酒井神社で、
毎年11月22日の夕刻、まいどこという神事がおこなわれます。
学校を終えた児童たちが、手に御幣を持ち、
順番に吽形阿形の面を被りながら、
酒井神社から、旧社地へ参拝し、再び戻ってくる。
・・・たったそれだけの神事です。
行き帰りに子供たちが唄う歌が、とても不思議です。
まいどこ まいどこ 藁 三把 出ーさんモンは
ツーラに毛ぇが いっぱい 生よ 生よよー
毎年11月22日の夕刻、まいどこという神事がおこなわれます。
学校を終えた児童たちが、手に御幣を持ち、
順番に吽形阿形の面を被りながら、
酒井神社から、旧社地へ参拝し、再び戻ってくる。
・・・たったそれだけの神事です。
行き帰りに子供たちが唄う歌が、とても不思議です。
まいどこ まいどこ 藁 三把 出ーさんモンは
ツーラに毛ぇが いっぱい 生よ 生よよー
向かって右側か酒井神社、左がこの神社から分かれた両社神社です。
社伝によると、創建は、弘仁元年(810)。
下阪本の梵音堂にある磊 から酒が涌き出し、
その酒の精が大山咋神であるとの神告から、
磊を神体として社が建てられたと言われます。
元亀二年(1571)織田信長の比叡山焼き打ちによって
この社は焼け落ちますが、天正十六年(1588)に再建。
元和六年(1620)広島藩主浅野長晟によって
梵音堂から南西へ300メートルほど離れた場所に、
新たに社殿が建てられ、これが現在社の酒井神社です。
なぜ、現在地に遷されたのかはわかりませんが、
このあたりはギリギリ、明智光秀の坂本城の縄張り。
廃城(1587年)後、堀は埋め立てられ、
大津から北陸へ至る北国海道として整備。
その街道沿いに、現在の下坂本の町並みが形成されます。
これがちょうどこの時期に当りますので、
あるいはこの町づくりと社殿の遷座は関係あるのかもしれません。
(たんなる想像で、根拠はありません)
社伝によると、創建は、弘仁元年(810)。
下阪本の梵音堂にある磊 から酒が涌き出し、
その酒の精が大山咋神であるとの神告から、
磊を神体として社が建てられたと言われます。
元亀二年(1571)織田信長の比叡山焼き打ちによって
この社は焼け落ちますが、天正十六年(1588)に再建。
元和六年(1620)広島藩主浅野長晟によって
梵音堂から南西へ300メートルほど離れた場所に、
新たに社殿が建てられ、これが現在社の酒井神社です。
なぜ、現在地に遷されたのかはわかりませんが、
このあたりはギリギリ、明智光秀の坂本城の縄張り。
廃城(1587年)後、堀は埋め立てられ、
大津から北陸へ至る北国海道として整備。
その街道沿いに、現在の下坂本の町並みが形成されます。
これがちょうどこの時期に当りますので、
あるいはこの町づくりと社殿の遷座は関係あるのかもしれません。
(たんなる想像で、根拠はありません)
浅野長晟は下阪本出身で、最初、秀吉に、関ヶ原後は家康に仕えた武将。
酒井神社を建立したときには、安芸国広島藩初代藩主(42万石)に収まっていました。
それ以前も彼は、故郷のこの神社へ貢献しています。
永禄年中征伐凱旋にあたって、阿吽二面などを寄進。
現在もこの面は神社が所蔵(博物館に委託)していますがまいどこで使われるのはそのレプリカです。
酒井神社を建立したときには、安芸国広島藩初代藩主(42万石)に収まっていました。
それ以前も彼は、故郷のこの神社へ貢献しています。
永禄年中征伐凱旋にあたって、阿吽二面などを寄進。
現在もこの面は神社が所蔵(博物館に委託)していますがまいどこで使われるのはそのレプリカです。
午後3時過ぎから、三々五々、児童が神社に集まってきます。
きっちり何時から・・・と決まってきるわけでもないらしく、
学校が終わってから・・・というゆるい決まりみたいです。
「○○君がまだ来ていないなあ」
「じゃあ、呼びにいってくる」
・・・と言った子供がなかなか帰ってこなかったり・・・という感じです(笑)
本殿前で参加者のお祓いがはじまったのは午後4時頃でした。
まいどこ まいどこ 藁 三把 出ーさんモンは
ツーラに毛ぇが いっぱい 生よ 生よよー
その後、子供たちが歌いながら、旧社地へ向います。
きっちり何時から・・・と決まってきるわけでもないらしく、
学校が終わってから・・・というゆるい決まりみたいです。
「○○君がまだ来ていないなあ」
「じゃあ、呼びにいってくる」
・・・と言った子供がなかなか帰ってこなかったり・・・という感じです(笑)
本殿前で参加者のお祓いがはじまったのは午後4時頃でした。
まいどこ まいどこ 藁 三把 出ーさんモンは
ツーラに毛ぇが いっぱい 生よ 生よよー
その後、子供たちが歌いながら、旧社地へ向います。
10分ほどで到着。
子供たちはカエデの木から葉を毟り取り、まもなく酒井神社へ戻ります。
子供たちはカエデの木から葉を毟り取り、まもなく酒井神社へ戻ります。
まいどこ まいどこ 藁 三把 出ーさんモンは
ツーラに毛ぇが いっぱい 生よ 生よよー
ツーラに毛ぇが いっぱい 生よ 生よよー
以前に見たときは、この後、氏子町内をくまなく廻っていたしたが、今回は往復だけに簡略化されていました。
子供たちが唱えるこの唄から、神社ではこの神事をまいどこと呼ぶそうです。
「参ろうか」 とか「毎度」の転訛かな、とも思うのですが、意味自体は不明なのだそうです。
「参ろうか」 とか「毎度」の転訛かな、とも思うのですが、意味自体は不明なのだそうです。
翌朝5時頃、神社で藁を燃やすお火焚があるそうなので、
子供たちが、その藁の供出を呼びかけている・・・というのは僕の想像です。
阿吽の面を被るのは、神威を借りるため。
藁を供出しないような胡乱な奴は、
顔から毛がいっぱい生えてくるぞ・・・というユーモラスな脅しではないかな、と。
子供たちが、その藁の供出を呼びかけている・・・というのは僕の想像です。
阿吽の面を被るのは、神威を借りるため。
藁を供出しないような胡乱な奴は、
顔から毛がいっぱい生えてくるぞ・・・というユーモラスな脅しではないかな、と。
御幣と阿吽の面を神前に返し、カエデの葉を供えて終了。
子供たちはお菓子を貰って散会です。
ちょっとハロウィンっぽい行事かな・・・と思うのですが、いかかでしょう(笑)
それにしても、ゆるーい感じの神事です。
これほどゆるい神事が、現在まで存続してくれたことに、
ある種、感動すら覚えます。ずっと続いてほしいものですね。
子供たちはお菓子を貰って散会です。
ちょっとハロウィンっぽい行事かな・・・と思うのですが、いかかでしょう(笑)
それにしても、ゆるーい感じの神事です。
これほどゆるい神事が、現在まで存続してくれたことに、
ある種、感動すら覚えます。ずっと続いてほしいものですね。
Tracked
from ローカルニュースの旅
at 2013-12-04 23:31
by dendoroubik
| 2013-11-30 20:09
| ◆近江の祭 大津
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