2013年 02月 04日
押立神社 ドケ踊り
滋賀県東近江市北菩提寺町
「押立(おしたて)神社でおこなわれる
「ドケ祭」は,60年に一度おこなわれる祭りです。
前回おこなわれたのが昭和46年ということですから、
次回は平成43年。
18年後ですね。(生きてるかなあ・・・)
数十年まえ、伝承のために「押立神社ドケ祭保存会」が結成され、
5年ほどまえから、人生の「60年」還暦の男女を祝う節分祭に
祭りのメインである「ドケ踊り」が奉納されているそうです。
押立神社の主祭神は火産霊神(ほむすびのみこと)と
加賀白山からお迎えした伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱。
かつては押立山三瀬岳に祀られていましたが、
978年(天元元年)に神異があり、現在地に遷座。
中世以降は、領主だった佐々木家や井伊家の保護を受けます。
大門(重要文化財)は、室町時代に造営された入母屋造檜皮葺の四脚門。
はじめて訪れましたが、たいへん立派で、また美しい神社です。
周囲が田に囲まれた鬱蒼とした見事な社叢林、
その横には近江商人松居泰次郎、
房治兄弟寄贈の旧西押立国民学校の校舎があり、
どこか懐かしい景観をつくっています。
(水田に水が張られる頃に、もう一度訪ねてみたい・・・)
本殿(重要文化財)は応安6(1373)年造営の三間社流造。
押立山三瀬岳から当地へ遷座の際、祭神を導いたという猿・・・
午前10時から節分祭がはじまります。
記念撮影・・・。
還暦を迎えられた方々による福豆、福餅まきがあります。
そのあと「ドケ踊り」の奉納があります。
装束が奇抜です。
鬼と般若の面を被り、
女物の紅い長襦袢のうえに煌びやかな陣羽織、
鞨鼓をさげた踊り手が「バリ」と呼ばれるカラフルなバチを持って、
体を上下左右に揺らしながら踊ります。
「ドケ」の語の由来にはふたつの説があるそうです。
ひとつは、踊るさまが滑稽なことから「道化」が転訛したものだという説。
いまひとつは「退け! 退け!」という警告からきているというものです。
「ドケ祭」では二柱の祭神のお渡りに
この踊りが随行するものなので、
「神様のお通りだ」・・・というわけですね。
ドッケノ ドッケノ シッケノケ
これが囃子詞です。
どこか愛嬌のあるそのお囃子を聞いていると、
やはり「道化」・・・かなあと思えてきます。
お囃子はササラ、鉦、鼓、太鼓、笛。
明治までは17カ村6郷で数百人が
1週間ほどかけて村々を踊りまわったといわれます。
もっとクレージーな踊りを予想していたのですが、
テンポはスローでやはり風流な踊りでした。
江戸時代の「ドケ祭」の詳しい記録は残っていないそうです。
江戸時代の中ごろからはじまったとも、400年以上つづくともいわれます。
Tracked
from ローカルニュースの旅
at 2014-02-06 22:39
タイトル : 60年に1度の「ドケ踊り」、継承へ奉納
本来は60年に1度の古式祭でしか披露されない神事「ドケ踊り」が3日、押立神社で奉納された。開催回数の少ない伝統文化を継承しようと、近年は節分の日にあわせて地元保存会メンバーが特別に舞っており、独特のリズムの踊りで観衆を魅了した。「押立神社ドケ祭保存会」は節分の日の特別奉納のほか、地元の小学生に振り付けを覚えてもらう指導にも取り組んでいる。... more
本来は60年に1度の古式祭でしか披露されない神事「ドケ踊り」が3日、押立神社で奉納された。開催回数の少ない伝統文化を継承しようと、近年は節分の日にあわせて地元保存会メンバーが特別に舞っており、独特のリズムの踊りで観衆を魅了した。「押立神社ドケ祭保存会」は節分の日の特別奉納のほか、地元の小学生に振り付けを覚えてもらう指導にも取り組んでいる。... more
by dendoroubik
| 2013-02-04 21:13
| ◆近江の祭 湖東
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