2012年 10月 16日
米原曳山まつり 2012 その3
曳山まつりのおこなわれる米原市米原は、
太尾山の山裾の北国街道沿いに拓かれた町です。
写真は、北国街道と擂鉢峠を越えて中山道、
番場宿(『瞼の母』でお馴染みですね^-^)
に通じる間道の分岐点です。
もっとも米原らしい風景ではないかな・・・と思います。
右に写っている「かめや」さんは、
江戸時代には富山や大和の売薬さんの指定宿でした。
北国街道が整備されたとき米原には宿駅が置かれ、
その名残でしょうか、現在もこういった「旅館」の
看板を掲げた宿がいくつかあります。
往時の繁栄は、いまの米原に求むべくもありませんが、
地理的な条件から、名神高速と北陸道の分岐(ジャンクション)、
そして滋賀県で唯一の東海道新幹線の駅があります。
いまでも、越中の売薬さんが、
ふらりとこの宿を訪れたりすることがあるのでしょうか・・・?
駅前から湯谷神社へつづくだらだら坂。
この坂を登ると、4年まえに急逝した
取引先のKさんのことを思い出します。
Kさんはこの町の生まれ育ち。
この祭りが心底好きなことは、
言葉の端々から伝わってくるようでした。
とくに宵宮の夜、曳山がこのだらだら坂を
湯谷神社まで登っていく「登り山」の美しさについて、
酒を呑むたびに熱く語っていたのをいまでもありありと覚えています。
大津祭の宵宮と同じ日におこなわれることもあって、
なかなか見る機会がなかったのですが、
数年まえに1度だけ覗いてみたことがあります。
観光客のほとんどいない「登り山」の光景は、
Kさんの言葉通り、息を呑むような美しさでした。
松翁山の山車庫は湯谷神社の境内にありますので、
祭礼の朝はここからだらだら坂を下って行きます。
湯谷神社から米原の町を抜け、
国道8号線を越えるとJRの米原駅。
跨線橋を越えて西口に拓かれた
新しい町並みに曳行されていきます。
在来線と新幹線をまたぐ跨線橋なので高くて長い。
通行止めされるわけではなく、
警察官が交通整理をしながら曳かれていきます。
曳山は長浜型で、舞台、楽屋、亭(ちん)、
下山から構成されています。
亭には大工方が登り、
電線などをさばいていきます(カッコいい!)。
トラックと曳山が同じ道路を行く姿は、
どこか浮世離れしています・・・
お囃子は、長浜と同じように
「シャギリ」と呼ばれます。
笛と太鼓、摺鉦の構成で、
日によって曲が異なるそうです。
宵宮では「追遣り(おひやり)」という曲が演奏されます。
米原曳山の三番叟は操三番叟。
糸操りの人形の糸が切れて動かなくなります。
後見が修繕して動き出すところが見ものです。
子供歌舞伎を演じる前には
「奉演間(ほえんま)」という曲が横笛1本で演奏されます。
芸が始まることを知らせる意味があるそうです。
芝居で静御前が鼓を打つシーン。
このホンモノなところがいいですね^-^
役者は神の依り代。
穢れを避けるために、地面に足をつけません。
年を経ることによってしか
顕れない美しさというものがあると思います。
米原の町衆の心意気に支えられ、
受け継がれる曳山と子供歌舞伎の美しさ・・・
いつまでもなくなってほしくないもののひとつです。