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堅田4 町並み

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戦国時代、堅田を訪れたルイス・フロイスは 
この町を甚だ裕福なる町」と評しています。

中世以後 堅田は殿原衆」(地侍)と
「全人衆」(商工業者・周辺農民)による自治が行われており 
「堺の並び称される自治都市」
・・・といわれるほど活況を呈していたようです。 

どこの支配にも属さず
「湖上水運」による特権をほぼ独占してきた
・・・という経済的背景があったんですね。 

堅田の歴史は、この特権をめぐる比叡山や
信長たちとの争い・・・といっても過言でないと思います。

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統一された建築様式による町並み
・・・というものはありませんが、
それでも現在の堅田の町を歩いていると、
漁村らしい町並みのなかに、
かつての繁栄をしのばせる佇まいが、
あちらこちらに散見されて興味が尽きません。

(1枚目の写真は「殿原衆」の筆頭党首、居初家住宅。 
茶室「天然図画亭」とともに一般公開されています。 
2枚目は堅田浦郷士、辻家住宅。




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「近江商人」の町といえば、
近江八幡や」五個荘が有名ですが、
それらに先んじて商業活動のネットワークを広げていたのが
「堅田商人」だといわれます。 
湖上水運を掌握していた彼らは、
京、大阪、美濃、尾張はもとより、、
山陰、北陸方面との交易を盛んにおこなっていました。

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大谷本願寺を追われた蓮如は、
布教の拠点を堅田・本福寺に置きますが、
そこに集まった「堅田門徒」と呼ばれる「全人衆」こそ、
その流通の担い手で、蓮如のその後の布教活動は、
彼らの培ってきたネットワークとノウハウなしにはありえなかったでしょう。

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「湖族の郷資料館」
入館料は100円。 
味のあるおじいちゃん(館長さん?)が、
堅田の歴史をザクッと説明してくれます。

堅田出身の喜劇俳優志賀廼家淡海
作詞家奥野椰子夫
堅田を訪れた文人などの展示をおこなっています。

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本福寺と光徳寺のあいだの路地に 
「宝井 其角寓居乃跡」・・・という石碑が建っています。 

其角といえば蕉門十哲の第一の門弟」
といわれる奇才ですが、彼は江戸生まれですので、
膳所藩御殿医を勤めていた父の竹下東順の家
・・・というのが正しいんでしょうね。 

何度かこの「実家」に「帰省」 はしているようですが・・・。

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滋賀県内の他の観光地、
長浜や彦根、近江八幡なんかにくらべて、
堅田はいまひとつ印象が薄いようにも思われます。 

蓮如上人が一時、拠点とし、
松尾芭蕉をはじめ、あまたの文人墨客が訪れた土地としては
・・・すこし寂しい気もします。 

ヴォーリズの教会もあります。

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「のある町には 良き銭湯あり・・・

「港湯」があります。
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by dendoroubik | 2011-12-21 18:00 | 滋賀 大津 | Trackback | Comments(0)