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彦根 龍潭寺2

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松尾芭蕉の門弟のなかで、
とくに優れた高弟10人を指して 

  「蕉門の十哲」 
といいますが、そのなかに森川 許六
(もりかわ きょりく)という彦根藩士がいます。 

同じく蕉門十哲の一人に数えられる
其角に師事して蕉風に傾き、
江戸での勤務の折、深川にいた芭蕉に入門。 

彦根に帰る際には芭蕉から 
「柴門之辞」を送られるほどの厚遇・・・

「弟子」といっても実際の接触はその1年間だけで、
お互いにその才能を理解し合う仲だったともいわれます。 

「許六」 の号は 槍術・剣術・馬術・書道・絵画・俳諧の
六芸に通じていたころからは芭蕉が命名したもの
といわれるほどの才人。 
特に絵の腕前は 芭蕉をして

  「絵では あなたが師匠だ」 

といわしめたほどのものだったといわれます。

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生前に描かれたものであるため、
実像に近いのではないかといわれ芭蕉の肖像画として
よく引用される「おくのほそ道」の旅姿を描いた 
「芭蕉行脚図」も彼の筆によるものです。 

龍潭寺方丈の10室は五十六絵すべて
彦根藩士中野助太夫三宜の依頼によって
許六が描いたものと伝えられています。





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1室につき画題はひとつ。 
これは獅子の間の獅子と牡丹。

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許六は狩野安信の下で画を学んだといいます。

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 <
  「あなたは 何のために画を好むのですか」

あるとき芭蕉がこう許六に問いかけたそうです。

  「俳諧のために好むのです」
  「俳諧は何のために」
  「画のために好みます」

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許六の人となりについては 
「自分以外は とるにたらないものとする倣岸不遜な男」 
とも、逆に「温厚謙遜の人」 ともいわれ、
ひとつのイメージに収束しにくい人物です。 

晩年はハンセン氏病を患い、
闘病生活を余儀なくされたとのことですが、
最期まで自負を失わなかった気性というか
気概が感じられるこんな辞世の歌を残しています。

  下手ばかり死ぬる事ぞとおもひしに
  上手も死ねばくそ上手なり

他人をとるに足りないとする一方で、
そこから抜きん出た才能をもった自分もまた
小バカにする目を持っていたところが
ただの風流人でも、武辺者でもない彼の魅力でしょうか。

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同じ近江の蕉門、膳所藩士菅沼 曲水も好きな人物です。 

彼もただの俳諧を愛する風流人ではなく、
不正を働く藩の奸臣を槍で天誅したというつわもの。 

そのうえ藩主に非がおよぶことを恐れて
一家断絶を覚悟で「私闘」に見せかけ切腹して果てた
・・・という気骨の人です。 

現在の芭蕉のイメージからすると、
ちょっと意外な気がするかもしれませんが、
当時の彼のまわりには、こういうマッチョな男たちがおり、
彼自身もそういった男たちを愛していたといわれます。

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曲水の家は断絶しましたのでその墓はありませんでしたが、
昭和48年篤志家によって義仲寺の境内、
芭蕉翁の墓の近く小さな墓碑が建てられました。 

許六の墓は彦根市の長純寺にあります。 

彦根藩の大身藩士の菩提寺でしたが、
いまは廃れて本堂さえありません。 

これが三百石を知行した藩士の墓か
と思うくらいのこじんまりとしたお墓でした。 
(先日、ゆるキャラまつりを見ているときに、
案内板が出ていてはじめて気づきました)

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意外といえば、蕉門十哲の第一の門弟、宝井其角も 
なぜ芭蕉が彼を評価するのか、
当時から不思議がられていたようで、
作風も違えば、酒呑みで派手好み、
おまけに師匠が毛嫌いしていた上方の西鶴とも
交際していた放蕩児に対しとやかくいう声に対し・・・

  静寂を好んで細やかにうたうのも
  伊達を好んで細やかにうたうのも 
  その細やかなところは同じ流れ

だと諭したという話は有名ですね。 

其角自身は江戸生まれですが、、父竹下東順は近江国膳所藩御殿医、現在の大津市堅田の生まれです。

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近江の蕉門には興味深い人物がいますね・・・

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七福神。 祠の奥は墓地になっていて、
その先は佐和山城跡へつづいています。

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境内には石田三成の像・・・複雑な歴史を物語っています・・・
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Commented by うずら at 2011-11-24 09:34 x
おはようございます。
芭蕉と弟子の関係は、不思議ですね。
現代の私らが思う、師弟関係ではないようです。
芭蕉のために私財をなげうって、それで師匠を自分のものにするかのような、
芭蕉を養うのを弟子同士が競ってるような・・・
それだけ、みんなが弟子である前に、芭蕉のファンやった、
ということやろうけど、晩年の芭蕉が滋賀を愛したのが、
風光明媚なロケーションだけでなく、タニマチな待遇やったとなんや、
本当に、そう思いますもんね。
それだけ才能豊かで魅力的な人やったんでしょうけど、
芸術の世界って、凡人には理解しがたいですわ。
それに、魅力的な人のわりには、女性の影が少ないですけどね。
Commented at 2011-11-24 09:48 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dendoroubik at 2011-11-24 18:53
☆うずらさん

生前からすでに神格化されてた芭蕉さん・・・今も無数に出てるどの伝記を読んでも そういう生前にイメージを引き摺ってるのが多いですね
あまり知られていない前半生にスポットを当てた 「芭蕉二つの顔」 という本を読んでから イメージがガラリと変わりました
算勘の才に長け  江戸で土木工事の指揮をして生計を立てていた芭蕉さん・・・伊達を好んで けっこう派手なつき合いをしてた芭蕉さん・・・おめかけさんとの間のあいだに子供がいたことも 当時から公然の秘密だったのに なぜかそういう足跡は 生前から韜晦されていたのが不思議ですね

名古屋のパトロンにソッポを向かれて 近江の人々の援助を受けるようになったといいますが それを必然のように受け止めているところが おもしろいと思うのです
近江や近江の人々について書かれた文章を読むと 社交辞令なのか判然としないところもありますが あんなベタベタな書き方をしているのは やはり近江を本気で愛していたか 少なくとも 愛そうとしてしていたことはわかりますね
Commented by dendoroubik at 2011-11-24 18:58
☆鍵コメントさん

たいへん光栄なお話ですが・・・いいんでしょうか・・・こんな素人で^-^;
一度 めぼしいものをCDで送らせていただきます
以前いただきた名刺のご住所でよろしいでしょうか?
Commented at 2011-11-25 02:03 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by dendoroubik | 2011-11-23 18:00 | 滋賀 彦根 | Trackback | Comments(5)