2011年 09月 13日
福岡 柳川 川下り
船頭さんが棹1本で操る「どんこ舟」に乗って スイスイ・・・
筑後川の河口に広がる柳川・・・城下町の掘割の舟下り・・・
1時間半弱のコース・・・退屈かな・・・と思ったのですが、
船頭さんが話し上手で、飽きることなく楽しめました。
現在、柳川の川下りの船頭さんの数は約60名。 多くは元漁師さんなんだそうです。
「話好き」 の方と「唄好き」の方に二分されるそうで、僕の乗った「どんこ舟」の船頭さんは「話好き」
エコーのかかるトンネルのなかだけ歌ってくださいました(笑)
前の舟の船頭さんは「歌好き」らしく、乗った人は柳川の説明をまったく聞けなかったのでは、と思うほど始終、歌っておられました(笑)
柳川の掘割は、約400年まえ 「柳河城」築城の際に城下町を形成するため人工的に掘って整備されたものです。
堀はお城まわりだけでなく、市内を縦横にめぐっており、明治5年に天守が焼失したあとも、一部は農業用水として取り込まれていたり、たんに観光用だけでない水利体系として現在も生きています。
明治後期の建物で、外堀と内堀の分岐点にあるレンガ造りの平庫や
堀にかかる情調のある橋など、目を楽しませてくれるものにも事欠きません。
「柳川」といえば、なんといってもやはり当地出身の北原白秋が思い浮かびますが
船頭さんの話によると、近所には クールファイブのリーダー・内山田洋さんの実家もあり
いまも幼稚園を経営されているそうです(ご本人は5年まえに逝去)。
そう・・・僕の乗った舟の船頭さんが唯一、歌ってくれた曲は内山田さんが柳川のことを謳った曲
「柳川おんだ節」
でした。
この二人の名には無反応だった同船していた女の子たちも
「ここが妻夫木聡が出た小学校です」
という説明には色めき立ち、写真を撮ったり・・・
その他にも、柳川出身の著名人といえば、作家の檀一雄 哲学者の廣松渉 歌手の徳永英明
振付師のKABA.ちゃん・・・などなど・・・多彩な人物を排出しています。
石垣の向こうは 国の名勝「松濤園」
橋のたもとの店からは、うなぎを焼くものすごくいい匂いが漂ってきます。
ちょうど昼過ぎ・・・川下りのあと、数ある鰻屋さんのなかから、この店を選んでしまいました。
川下りの終点近くにある、殿さん屋敷の西側を囲んでいる倉のナマコ壁。
終点の船着場と水天宮。
船着場近くには、柳川観光のもうひとつの目玉、北原白秋の生家があります。
「雨ふり」「待ちぼうけ」「からたちの花」などでお馴染みの北原白秋は
1885(明治18)年、柳川藩御用達の海産物問屋を営むこの家に生まれます。
代々、海産物問屋を営んでいましたが、父の代になると 酒造業を営むようになり
母屋との間に掘割りが流れるほどの広大な土地を有する羽振りのよさだったそうですが、
明治34年の大火災で大半を焼失。 昭和44年に復元され
現在 遺品や著書などとともに「白秋記念館」 として内部が公開されています。
時ならぬ注目を集める「どじょう」ですが(笑)
つい最近まで、というか柳川を訪れるまで「柳川鍋」というのは、柳川発祥の料理だと思い込んでいました。
柳川の郷土料理といえば「うなぎのせいろ蒸し」なのですが、数あるうなぎ屋さんを覗いてみると
せいろ蒸しに並んで「柳川鍋」やどじょう料理を扱っているお店も多く、話がややこしい。
実際「柳川鍋」の命名は柳川製の陶器からきている、という説もなくはないそうなんですが・・・
余談・・・。 僕が訪れた数日まえ、柳川でフジフィルムのCM撮影があったらしいです。
「ピンクのスーツを着てらっしゃいました」・・・というCMは⇒こちら
Commented
by
nochi423 at 2011-09-13 23:58
とっても楽しまれていますね!
体力・行動力見習いたいといつも思います。
船は憧れですが、乗り物苦手な私はこの写真で自分も乗った気分♪
体力・行動力見習いたいといつも思います。
船は憧れですが、乗り物苦手な私はこの写真で自分も乗った気分♪
0
Commented
by
dendoroubik at 2011-09-14 01:11
☆ノチさん
滋賀にも水郷めぐりはありますがいまだ乗ったことがありません
…のに 乗ってしまったのは 旅行気分のしからしむところでしょうか^-^;
船…といっても 波のない水路ですので
酔うことの方がむずかしいような能天気な川下りでしたよw
滋賀にも水郷めぐりはありますがいまだ乗ったことがありません
…のに 乗ってしまったのは 旅行気分のしからしむところでしょうか^-^;
船…といっても 波のない水路ですので
酔うことの方がむずかしいような能天気な川下りでしたよw
by dendoroubik
| 2011-09-13 06:00
| 福岡
|
Trackback
|
Comments(2)