2011年 06月 20日
大津祭 2010年 石橋山
唐突ですが・・・
昨年10月の大津祭のつづきです。
石橋山は寛延元(1748)年に登場。
それ以前は、空穂猿山(1705年)、
さらにそれ以前は練り物だったそうです。
所望は謡曲から採られた「石橋」。
曳山の中央に大きな岩があり、
向かって右側に寂昭法師が立っています。
所望がはじまると岩が割れ、
唐獅子が登場し、いろんなポーズで牡丹に戯れます。
大江定基は出家(寂昭法師)して唐に渡り、
仏跡を巡礼します。
清涼山の麓にたどりつき、
現世と浄土をつなぐという有名な石の橋でのたもとで、
ひとりの童子(または樵夫)に出会います。
法師が石橋を渡ろうとすると、
童子(樵夫)は彼を制止し、
この橋がとても危険であり、向うは文殊菩薩の浄土であるから、
ここで待てばやがて菩薩が現れるだろうといって立ち去ります。
なんだか、カフカの『掟のまえで』みたいな話です。
しかし、主人公のためだけに用意された「掟」であるにもかかわらず、
けっきょく、そのまえでのたれ死んでしまうカフカの小説とはちがい、
法師が待っていると、やがて獅子(菩薩の使者)が石橋の上に出現し、
咲き乱れる牡丹の花に戯れながら獅子舞を舞いはじめます。
見送幕は、17世紀・フランク王国の毛綴 『王への貢進図』
フランドル地方でつくられたものと考えられますが、
祇園祭の油天神山の以前の見送幕に類似するそうです。