2011年 03月 19日
京都 勧修寺
随心院の次は、お約束のように勧修寺へ。
しかし、ちょうど「京都伝統産業青年会展」が開催されていて、
関係者や放送局、さらには地元の小学生が社会科見学かなにかで
大挙していた随心院とは打って変わって、
勧修寺には観光客はひとりもいませんでした。
桜や氷室池の蓮が咲いていないいまは、
シーズンオフ・・・ということなのでしょうか。
書院まえに「臥竜の老梅」が咲いていました・・・
「臥竜の老梅」は
京都御所から贈られたという樹齢300年の白梅。
親木(根)から子(枯れ木)、
花をつけた孫が幹をからめて支え合っています。
その南の平庭には、
樹齢750年といわれる偃柏槙(はいびゃくしん)が
地を這うように枝を広げています。
その中に戸光圀公が寄進したという灯篭・・・
「勧修寺型灯篭」がたっています。
冬枯れの氷室池と昭和初期建立の観音堂。
勧修寺は、真言宗山階派の大本山。
平安中期、醍醐天皇が母の菩提を弔うため、
母の生家の邸宅を寺に改めたものといいます。
1470年、兵火で焼失しますが、
徳川家と皇室の援助で復興。門跡寺院。
冬枯れのせいもあるのでしょうが・・・
平安時代初期作庭といわれる氷室池を中心にした
池泉回遊式庭園・・・京都の有名寺院には珍しく、
ひどく荒れた印象を与えます。
南側へ向かう道にはロープが張られ
この先行かれるのは自由ですが大いに危険
と看板がかけられています。
時折、カワセミが青い羽をきらめかせて
水面を飛び交うのが唯一の慰め・・・
明正院御所対面所を元禄10(1697)年に
明正天皇から下賜されたとものという宸殿。
解説書によると、明治維新直後、
一時的に京都府郡部の最初の小学校に使われたとあります。
アセビがきれいでした。