人気ブログランキング | 話題のタグを見る

大津 保田與重郎の墓

大津 保田與重郎の墓_c0196076_21214367.jpg


今年は保田與重郎の生誕100周年なんだそうです。

先日、京都のジュンク堂書店で立ち読みしていたとき、はじめて知ったのですが・・・
100歳・・・
まだ、生きていても不思議じゃない年齢です。でも、なんだかしっくりきません。

数年まえに「きんさん・ぎんさん」という双子のおばあちゃんが人気だったころ
しばらくして近所の本屋さんで「宮沢賢治生誕100周年フェア」というコピーを見て

「うわあ! きんさん・ぎんさんは賢治より年上やったんや!」

と・・・自分のなかの年表がひっくり返されたような驚きを感じたことを思い出しました。

賢治は38歳という若さで亡くなっているわけですし
逆算してみたらなんでもない話ではあったんですが
歴史的な人物やという思い込みを不意打ちされたような思いでした。

保田與重郎は、決して「夭折」したわけじゃありませんし
年表を見てみると、自分が高校生のころにはまだ存命されています。
が、はじめてその名を知ったときには、暗黙のうちに「過去の人」
というレッテルが貼られていたように思います。

『日本浪曼派』を主宰していたのが25歳、
敗戦後「戦争協力者」なんていわれて干されていたのも、35歳という若さ。
「夭折」ではなくてなくて、おどろくべき「早熟」ですね。

数年まえ、はじめて義仲寺を訪れて、保田與重郎の墓を見つけたときも驚きました。

奈良桜井出身・・・
ことあるごとに大和の美しさを喧伝していた人が
・・・というより、まるで大和の美しさがイコール日本の美しさ
みたいに言ってた人が、なぜ滋賀に眠っているのか?・・・と。

『芭蕉』という本も書いていますし、
「平家物語」を紹介するのに、あえて義仲の視点から語り起こす(『木曾冠者』)人ですから
ふたりの眠る場所を選んだのかな・・・と ぼんやり想像していたのですが・・・

なぜ奈良でなく、大津・義仲寺にその墓があるのか、仔細は知りませんが
戦後、荒廃しきっていた義仲寺を「再建」したのは、保田與重郎だと最近、知りました。

ちょうど、彼が世間から「干されて」いた時期ですね・・・

大津 保田與重郎の墓_c0196076_22312261.jpg

保田與重郎の墓の傍らには、膳所藩の重臣で、近江蕉門の重鎮、菅沼 曲水(翠)の墓があります。

曲水は、不正を働く藩の奸臣を槍で天誅・・・藩主に非がおよぶことを恐れ
「私闘」に見せかけて切腹して果てた・・・という気骨の人。

息子も切腹を命じられ一家は断絶。

そのため墓はなく、義仲寺にはじめ建立されたのは昭和48年。
没後257年後のことでした。

そんな最後を知るよしもなかった芭蕉も
彼のことを「勇者曲水」「ただ者にあらず」と評していたといいます・・・
by dendoroubik | 2011-03-05 22:59 | ◇アイドルを探せ! | Trackback | Comments(0)