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野洲 妓王寺

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「祇王寺」・・・といえば、京都・嵯峨野の超有名な尼寺。

しかし、滋賀県野洲市にも同じ名を持つ浄土宗の尼寺 
「妓王寺」があります・・・

いったい、どんな関係があるのでしょうか・・・?




野洲 妓王寺_c0196076_13325915.jpg平清盛が天下を掌中に収めたころ、京の都に
妓王・妓女(ぎおう・ぎじょ)という姉妹の売れっ子白拍子がおりました。

妓王・妓女姉妹は、近江の国、
現在の野州・・・江辺庄司の娘。
父は北面の武士でしたが保元の乱で戦死
(罪があって北陸に流されたとも)。
母・刀自と供に京に出て、白拍子となっていたのでした。



清盛は、姉の妓王を西八条の館
(現在の若一神社あたり)に入れて寵愛し、
妹・妓女、母刀自ともども何不自由なく暮らさせます。

妓王が、水不足で悩む郷里の人びとを
救ってほしいと申し出ると、清盛は快諾。
5年の歳月をかけて野洲川から、
12キロに及ぶ灌漑用水路をつくらせたといわれます。

その人工河川が、現在に残る「祇王井川」といわれ、
そのおかげで近江でも有数の米どころとなった
地元の人びとが妓王の徳をしのんで建立したのが 
野洲の「妓王寺」だといわれます。

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妓王が清盛の館に上がって3年後・・・

都では加賀の生まれの「仏御前」という
18歳の白拍子が評判をとっていました。

仏御前は自慢の舞と歌を清盛にみてもらおうと、
西八条へ参りますが、すげなく追い返されそうになります。

同じ白拍子・・・同業のよしみで妓王はとりなしてやるのですが、
仏御前の「今様」と舞、そしてその美貌に
清盛はすっかり魅せられ、心うつりしてしまいます・・・

清盛にお目通りがかない、
すっかり満足した仏御前は退室しようとしますが、
清盛は館に残れと引きとめます。

なおも固辞する仏御前の態度を
妓王への遠慮ととった清盛は、
逆に妓王を追い出してしまいます。

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いずれはこんな日が来ることを
覚悟していた妓王ですが、
あまりといえばあまりな仕打ち・・・
3年もの間、住み慣れた館を去るのも名残り惜しく、
せめてもの形見にとて、
障子に歌を書きつけて館をあとにします・・・

  萌えいずるも  枯るるも同じ  野辺の草
  何れか秋に  あはではつべき

  (今は萌えいずる草も、
   いずれ秋が来れば(飽きがくれば)
   枯れて見捨てられるのが野辺の花)

館を追い出されて悲嘆に暮れる妓王のもとに、
翌年、清盛からの使者が来ます。

気鬱の晴れない仏御前を慰めるために
西八条へ参るようにというのです。

(気鬱の原因が、自分の横暴によるものだ
と気づかない清盛の この鈍感さが痛々しい・・・)

清盛の命に背くことは、
何人もできるはずもなく、参上した妓王は・・・

  仏もむかしは凡夫なり 
  我等もつひには仏なり
  何れも仏性具せる身を   
  隔つるのみこそ悲しけれ
 
・・・と、即興の今様を泣く泣く二度うたいます。

その場に居合わせた公卿や平家一門の者、
感涙を催さないものはなかったといいます。


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21歳の妓王、つづいて19歳の妹・妓女、 
45歳の母・刀自は髪をおろし、
嵯峨の奥の山里に庵を結んで、
念仏を唱えながら、後世を願います。
(それが現在の祇王寺といわれます)

翌年・・・いつものように三人が 念仏を唱えているところへ、
尼の姿になった仏御前が訪れます。

いずれ同じ憂き目にあうだろうと
世の無常を感じて館を出た仏御前と妓王親子三人・・・

ともに仏道に励み、そろって往生の本懐を遂げた
・・・と、まあ ざっとこんな話だったと思います。

(写真は、一昨年の米原曳山祭で演じられた子供歌舞伎
『銘刀石切仏御前 三段目 西八条之段』の模様です。

妓王、仏御前のエピソードに
『平治物語』をミックスした創作ですが、
石川の方が書かれた・・・もともと小松市のお旅まつりで演じられ
た・・・ものなので、「妓王」ではなく
「仏御前」がタイトルになっています)



妓王寺
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先日、野洲の菅原神社「火渡り神事」を見物に行ったとき、
朝すこし時間があったので、近くの「妓王寺」に立ち寄ってみました。

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観光案内なんかでは、拝観には「要予約」とあるのですが、
どこに連絡していいのかもわからず、
その日は概観だけ眺めて菅原神社へ向かうつもりでした。

が、門の写真を撮っていると、向かいの家のご婦人が

  「開けましょうか・・・?」

と声をかけてくださったので、
火渡りを見てからお伺いすることにしました。

(見学予約は 野洲市観光物産協会・・・電話077-587-3710へ)

火渡りを見終わったあと、
うずらさんとふたたび妓王寺へ。

ちょうど、今朝のご婦人がおられ、門を開けてくださいます。

垣根をめぐらせた中庭には供養塔。



伺ったお話によると、現在このお寺は無住で、
お勤めなどは近くのお寺がされており、
毎年8月下旬には、旧10ケ村が集まって、
供養塔で法要が営まれるんだそうです。

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向かって左側の厨子のなかには妓王・妓女の像、
右側には母・刀自の像が祀られています。 

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白州正子もこの地を訪れています。
(『謡曲 平家物語』所収「野べの草 妓王・妓女」)

  用水のありかを、私は、村の青年を呼びとめて聞いてみた。
  頭の毛を長くのばした若者であったが、
  『祇王井』のことはよく知っており、
  詳しく教えてくれたのをみても、
  彼女に対する感謝の気持ちは未だに失せていないらしい。
  江辺の庄司も、祇王井も、このあたりの地名に、
  妓王の名が結びついたのかもしれないが、
  沢山伝承が残っているところから察すると、
  彼女の故郷であったことは事実であろう。
  美しい風景と、のどかな村のたたずまいは、
  何となく温和な人柄を偲ばせる。

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妓王寺から県道をはさんで
中北集落のはずれに、妓王邸宅跡・・・があります。

妓王と祇王井川の由来を記した大きな石碑が建っています。


「野洲」という地名は、県外の方には
あまり耳馴染みがないかもしれません。
観光に来る方もあまりいないと思います。
・・・が、国内最大の銅鐸が発掘されたり、
国宝建築が二件あるなど、
端倪すべからざる歴史的な土地柄ではあります。

妓王・妓女の話以外に、
野洲には平家にまつわる史跡がもうひとつあります。

平家終焉の地・・・といえば、
即座に「壇ノ浦」の名を思い浮かべる方も多いでしょうが、
平氏一門の主だった諸将が壇ノ浦で入水して果てるなか、
総大将の平宗盛とその嫡男清宗は生き残ります。

源氏方に捕らわれた宗盛父子は鎌倉へ送られ、
頼朝と面会。その後、京へ送り返される途中、
野洲の大篠原で斬首されます。

清盛からつづく一門の血筋はここで途絶えたわけで、
野洲を「平家終焉の地」といっても、
あながち間違いではなさそうです。

いまも胴塚が残り、
地元の方々によって供養されているそうです。

『平家物語』の巻頭、奢る平家を象徴する 
妓王・妓女のエピソードと、平家の終焉。
・・・はじめと終わりが滋賀県野洲市にある
・・・というのも、不思議な偶然ですね・・・
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Commented by うずら at 2011-03-04 00:46 x
なるほど~、米原の曳山で、平家物語が演じられたんですね。
妓王寺の紹介も、深いですね! さすが、です。
平家物語のくだりを頭の中に描きながら、撮られてたのかな~
ず~っと前に、門の写真を撮りに来たことがあったんですけど、
その頃より、門がキレイになってるというか、
建て替えられてるような気がします。
地元の人が、ちゃんと守ってはるんですね。
ご一緒させていただいて、ありがとうございました。
Commented by dendoroubik at 2011-03-04 21:21
☆うずらさん

けっこう趣きのある門やと思ったんですが・・・建て替えられたものなんですか・・・そういえば お堂の方も けっこう新し目の造作でしたね
しかし 見た目のイメージよりも 地元の思いが守る歴史・・・いかにも滋賀っぽくて 好きですね^^

米原の子供歌舞伎はおもしろかったです
僕が見たのは その年の初演だったのですが 清盛役の男の子が セリフをつっかえて泣きベソをかいているのにハラハラしたり・・・でも その夜の2回目の公演で 堂々と演じているのを観て ホントに感動しました^^
これを観たときには 野洲の妓王寺のことは知らなかったのですが  ネットの記事を読んで いつか行ってみたいと思ってました
うずらさんとごいっしょさせていただいて・・・このお寺の意味をわかっていらっしゃる方と拝見できて・・・よかったですv
Commented by うずら at 2011-03-06 21:28 x
すいませ~ん。また、ええかげんなことを言うてるかも(汗)
ホンマに建て替えられてるかどうか、また確かめておきますね。

私のほうこそ、ご一緒させてもらって、ありがとうございます。
「お寺の意味」をわかってるのか・・お恥ずかしい限り・・・(汗)
宗盛親子の終焉の地もことは、すっかり忘れてましたし~。

古い資料で「野洲町物語」というのを持ってるんですけど、
これには、宗盛にとって、父清盛が作らせた妓王井川のある野洲こそ、
欣求安住の地であろう・・・って書かれてましたね。
NHKの「平清盛」に、出てくるかどうか・・・

というか、米原の曳山、行ってみたいですね!
Commented by dendoroubik at 2011-03-06 22:54
☆うずらさん

宗盛・・・あまりいいように描かれることはないように思うのですが 「欣求安住の地」・・・だなんて 泣かせますね^^
大昔の話ですし 『平家』はかなり人物を類型化していると思うので 宗盛が じっさいどんな人物だったか 知るよしもありませんが そんなふうに捉えられたら 本人も浮かばれるでしょうね・・・歴史のおもしろいところですねー

米原の曳山は 大津祭と日程がかぶっていたり 長浜ほど盛大やなかったりで 見物客もまばらでしたが おもしろい祭でした
子供歌舞伎も じっくり見られますし 夜 山車が神社へ急坂を登って帰っていく「登り山」が なんともキレイでした
また 行きたいと思うのですが・・・大津祭と 日程をズラしてくれないかなと・・・^^;
by dendoroubik | 2011-03-03 14:53 | 滋賀 湖東 | Trackback | Comments(4)