2010年 10月 21日
大津祭 2010年 西行桜狸山
祇園祭のくじ取らずといえば、長刀鉾・・・
疫病邪悪を払うといわれる長刀をつけた、
高さ20mの真木は、見る者を威圧します。
大津祭のくじ取らず・・・
西行桜狸山の大唐破風屋根の棟に載っているのは・・・
人を威圧するどころか、
どこかしらユーモラスな雰囲気を漂わせたタヌキです。
このタヌキは祭礼を守護し、
また当日の天気を守るといわれています。
今を去ること四百数十年まえ・・・
大津四宮神社(天孫神社)の祭礼で、
旧鍛冶屋町の塩屋治兵衛なる男が、
狸の面をかぶり、当時流行の「風流踊り」を
采をふるいながら踊りだします。
観衆は大ウケ。
このパフォーマンスは、よほど
当時の大津の人々にインパクトを与えたんでしょうね。
治兵衛なる男が、老齢で踊れなくなってからも、
彼を載せた屋台が祭礼の日に練り歩きます。
やがて、彼の亡きあと、
からくりで腹鼓を打つ狸の練り歩きがはじまり(1622年)、
やがて二輪の曳山に(1635年)。
明暦2(1656)年には、祇園祭の山車を模し、
からくりも格調高い「西行桜」に変えられた立派な曳山が完成します。
現在の大津祭のはじまりですね。
でも、その際、塩屋治兵衛の記憶を留めるタヌキは、
しっかり大唐破風屋根の棟のうえに設えられました。
今も、てっぺんで巡行の先陣を切っています。
若干「妄想」も混ざっているので、
歴史的事実と乖離しているかもしれませんが・・・ご容赦を。
水引幕は、江戸時代の綴織・・・
「百子嬉遊図」・・・闘鶏をする子供たちが描かれています。
2003年に新調されたもの。
謡曲「西行桜」に因んだ所望。
曳山の前に突き出た古木から桜の精が現れ、
西行法師と問答するさまを表しています。
欄間には、左甚五郎作と伝えられる
韋駄天の姿が彫られているといいますが・・・
これも祇園祭の彫刻と同種の伝説でしょうか・・・あるいは・・・
こちらの宵宮もすばらしいのですが、今年は雨で残念でした・・・
柳里恭筆による金地の鳳凰。
全国でもそうなのですが・・・今年の富山の熊の出没は例年の8倍らしいです。そして全国ニュースにもなりましたが、岩瀬浜にも現れました。
「山」なら分りますが・・・ナゼに「海」なんだろう・・・・
冒頭から脱線しましたが、そのせいか屋根の上に載っているのが「熊」に見えましたが「タヌキ」なんですねー
ほぉ~「タヌキ」を模した踊りが民衆にウケタ。それゆえにタヌキを屋根に飾り先頭で曳く。みんなタヌキの山が来るのを楽しみに沿道で待っているし、そのたびにそのパフォーマーを思い出し、そして伝説となっていく・・・なかなか粋で好きですね・・・・
絢爛豪華さに眼を奪われます凸
こんばんは!
自分が富山にいたときも熊の出没が多く
黒部市街や 太閤山ランドに出たとのニュースがありましたが
岩瀬浜とは! ・・・いったい どうやって来たんでしょうか^^;
どんな祭にも その土地ならではの来歴が 当然あるのでしょうが
大津祭の「タヌキ」の話は 自分も好きです^^
祭の規模は 祇園祭にかないませんが
秋のうららかな一日 町衆や観客の楽しげな様子を見ていると
また 違った魅力があるなあ・・・と思うのです
彫刻は 富山や高山の曳山が豪華絢爛でいいものが多いですね
こちらは 懸飾が華やかでいいものが多いですよ
凸ありがとうございます^^