2010年 09月 02日
日野 中山の芋くらべ祭
毎年9月1日に、日野の中山地区でおこなわれる
「芋くらべ祭」は「天下の奇祭」なんて呼ばれることがあります。
なるほど、東西両集落から持ち寄った芋の長さを競べる
・・・いってみれば、ただそれだけの祭を
奇祭といっても差し支えないようにも思えます。
ただ、じっさいに見てみた印象をいうと、
奇祭とはまったく逆・・・のものでした。
この祭の体裁が整ったのは、
およそ800年以上まえといわれ
・・・一説には、その基になった祭祀は、
おそらく1000年以上まえ・・・
このあたりに人が住みはじめたころから
あったともいわれています。
神を饗応して語らい、最後に豊作を占うだけ
・・・奇抜な装束や、笛・太鼓のお囃子
なんかもいっさいないプリミティブな祭です。
でも、もともと祭とはおそらくそういったもので、
時を経るにしたがって奇抜な装束や音曲が加わり、
どんどん「奇祭」になっていった
・・・というのがじっさいのところなんじゃないでしょうか・・・?
「天下の奇祭」どころか、日本でも、
もっともオーソドックスな祭のひとつかもしれません^^
祭は午後1時、集落の中心に位置する
熊野神社からはじまります・・・
が、昼すぎまで病院だったので、
駈けつけた2時には、すでの集落のはずれ
「野神山」と呼ばれる丘のうえに設えられた
祭場に舞台は移っていました。
古式に則った儀礼が、炎天下で
延々と2時間ほどつづくのですが、
テープで解説が流れているので、
なんとなく流れはつかめます。
どうやら、神と人間の饗宴をあらわしているようです。
おおまかな流れをいうと・・・
まず芋の供進があり、神へ膳を奉ります。
三々九度の杯ののち、参列者に膳が出されます。
そして、芋打ちの酒肴が出されます・・・
参列者は、絣の着物を着た「山子」(やまこ)
と呼ばれる8歳~14歳の男の子たち。
裃をつけた「山若」(やまわか)と呼ばれる
16歳以上の青年たち(東西各7人)。
「をり」米粉をこねて、
魚を模り、赤く着色した食べ物。
そのほかに、餅、せんば(里芋の茎)、
ぶと(米粉を平たくのばしたもの)、
冬瓜、大角豆など計6品。
半切の東西交換。
祭場中央に「芋くらべ石」という
やや大きめの石が置かれ、
そこを境に東西にわかれています。
東西両方に設えられた神座。
祭の途中、何の前触れもなく、
石を吊るした紐が小刀で断ち切られます。
落ちた石を、東西の山子が拾いに行きます。
この石は山子が家へ持ち帰り、
来年の祭まで大切に保管するそうです。
・・・が、この一連の行為が何を意味するのか、
いまやまったくわからないそうです・・・
山子の相撲。
立ち会ったところで、山若の行司が
ストップをかけ、勝敗はつけられません。
何度か繰り返されます。
いよいよ、芋くらべがはじまります。
祭の朝、東西両集落で
もっとも長い里芋が掘り出され、
太い竹の先に結わえらます。
「定尺」(じょうじゃく)
芋の長さを測るモノサシです。
芋くらべ石のうえで、1本の木を割ったもの
・・・つまり同じ長さであることが確認されます。
三番尉(三番目の年長者)が定尺を使って
里芋のずいきの長さを測っていきます
・・・といいますが、じっさいに測っているようには見えません。
それどころか、酔っ払いのようによたよたしながら・・・
あるいは、トランス状態のダンスのように・・・
芋の長さを測っていきます。(「芋を打つ」というそうです)
これは、神が芋を打っているさまを
あらわしているともいわれるそうです。
(だから、あんな千鳥足なんですね)。
測定が身贔屓に拠らない正当なものであることを
主張しているのでしょうか・・・?
お互い測りおえると、結果の報告です。
が・・・
「東(西)の芋より西(東)の芋は、
一丈も二丈も三、四丈も五、六丈も長う打ちましてござる」
と、自分の芋の方が長いと主張しあいます。
大切な祭だからということで、
芋を交換して測ってみては・・・という提案がなされ、
今度は相手の芋を打っていきます。
テープの解説によると、延々と勝負がつかず、
深夜にまで及んだという記録がある、とのことですが・・・
あんないいかげんな測りかた?で、
勝負なんかつくはずない・・・とも思えるのですが(笑)
・・・でも、この日もけっきょく、
定刻には決着がついたのが不思議です。
古来、西が勝てば豊作、東が勝てば凶作
・・・といわれている、と解説にありますが、
さいしょから西が勝つようにしとけばいいのに・・・とも思うのですが、
そういうものでもないんですね・・・
9月になって作況を占う
・・・というのも、なんだか不思議です・・・
by dendoroubik
| 2010-09-02 00:00
| ◆近江の祭 湖東
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