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野洲 福林寺の磨崖仏

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大きな岩に半肉彫りされた三体の石仏。

手前の観音像の舟形光背に沿って、
上の方から鑿の跡が残っているのが見えます。

何者かが、割り盗ろうとして、
なぜか途中で断念した痕跡だということです。

福林寺は、天武天皇の頃(7世紀末)の創建といわれますが、
廃寺になったのも定かではない幻の寺です。
500年前までは存在していたという程度の記録しかなく、
ただ散在する石仏や磨崖仏が、
たしかにそこに寺が存在していたことを証しています。

明治から大正にかけて、
多くの石仏がここから持ち出されたそうです。

多くは、大阪や堺の大富豪に売られ・・・
この観音像も、そんな金目当ての業者によって
盗み出されようとしていたのでしょう。
ここは中山道(現国道8号線)からもほど近く、
廃寺で管理する人もいなかったので、
盗むのに好都合だったんでしょう。

どんな事情が思い留らせたのかはわかりませんが、
現在もこの磨崖仏を見ることができるというのは、あいがたいことです。




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近江を代表する山のひとつ三上山
「近江富士」の近くには、低い山がいくつか連なっています。

標高300メートル前後なので、山というより丘という印象ですね。

その中ひとつ、山頂の剥き出しの岩が印象的な山の麓に福林寺跡があります。

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合掌する十三体の地蔵菩薩。

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あたりには古墳が散在しています。

これは僕の妄想で、なんら根拠はありませんが、
古代人の古墳跡に寺が建ち、先祖たちへの追慕をこめて、
古墳に石仏を刻んでいったのではないでしょうか・・・?

ただこの地蔵菩薩は、江戸時代の制作
といわれますので、廃寺後のものです。

いや~。

でも これはやっぱり古墳でしょう!

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こちらも地蔵菩薩。

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合掌する腕の、抽象化された細い腕が印象的です。

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お寺の石垣の跡でしょうか・・・

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トップの写真の磨崖仏です。

このアングルからだと、鑿の跡がよくわかりますね。

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観音立像。

室町時代初期(14世紀)の制作。
岩から彫りだされた硬さがなく、
まるで粘りのある木から彫りだされたような、やさしい表情です。

盗み出そうとした気持ちも、わからなくもない美しい姿ですね。

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美術館で内外の古代石像なんかを見ると、
モノ珍しさや美しさに打たれながらも

  「これ・・・こんなとこにあっていいのかな~」

と思ったりすることがありませんか・・・?
Commented by うずら at 2010-05-21 23:09 x
白黒写真でしか見たことなかったんですけど、しっかり残ってますね~
中学校のすぐ裏で、幹線道路から近いのに、なかなか行かない場所ですけど(苦笑)
資料によれば白鳳期に建立されたらしいけど、場所柄のせいか、廃寺になるまで、数多くの戦火に巻き込まれたようですね。
かなり盗まれたらしいけど、削ってまで盗もうとするなんて、
盗人さんは、バチ当たってはらへんのですかね~?
Commented by dendoroubik at 2010-05-21 23:27
☆うずらさん

滋賀の石仏では 狛坂の磨崖仏が好きなのですが^^
あちらは 山道を1時間以上かけて出かけないと拝めないシロモノですから ありがた味がちがいますね~

こちらは国道・・・野洲中のすぐ裏手・・・あっけないほどすぐ行けてしまうのが なんだか・・・でも この観音さん 惚れてしまいました^^

ここまで鑿を入れといて 途中で止めた理由が知りたいですね~
by dendoroubik | 2010-05-19 19:26 | 滋賀 湖南 | Trackback | Comments(2)