2010年 05月 19日
野洲 福林寺の磨崖仏
大きな岩に半肉彫りされた三体の石仏。
手前の観音像の舟形光背に沿って、
上の方から鑿の跡が残っているのが見えます。
何者かが、割り盗ろうとして、
なぜか途中で断念した痕跡だということです。
福林寺は、天武天皇の頃(7世紀末)の創建といわれますが、
廃寺になったのも定かではない幻の寺です。
500年前までは存在していたという程度の記録しかなく、
ただ散在する石仏や磨崖仏が、
たしかにそこに寺が存在していたことを証しています。
明治から大正にかけて、
多くの石仏がここから持ち出されたそうです。
多くは、大阪や堺の大富豪に売られ・・・
この観音像も、そんな金目当ての業者によって
盗み出されようとしていたのでしょう。
ここは中山道(現国道8号線)からもほど近く、
廃寺で管理する人もいなかったので、
盗むのに好都合だったんでしょう。
どんな事情が思い留らせたのかはわかりませんが、
現在もこの磨崖仏を見ることができるというのは、あいがたいことです。
近江を代表する山のひとつ三上山
「近江富士」の近くには、低い山がいくつか連なっています。
標高300メートル前後なので、山というより丘という印象ですね。
その中ひとつ、山頂の剥き出しの岩が印象的な山の麓に福林寺跡があります。
合掌する十三体の地蔵菩薩。
あたりには古墳が散在しています。
これは僕の妄想で、なんら根拠はありませんが、
古代人の古墳跡に寺が建ち、先祖たちへの追慕をこめて、
古墳に石仏を刻んでいったのではないでしょうか・・・?
ただこの地蔵菩薩は、江戸時代の制作
といわれますので、廃寺後のものです。
いや~。
でも これはやっぱり古墳でしょう!
こちらも地蔵菩薩。
合掌する腕の、抽象化された細い腕が印象的です。
お寺の石垣の跡でしょうか・・・
トップの写真の磨崖仏です。
このアングルからだと、鑿の跡がよくわかりますね。
観音立像。
室町時代初期(14世紀)の制作。
岩から彫りだされた硬さがなく、
まるで粘りのある木から彫りだされたような、やさしい表情です。
盗み出そうとした気持ちも、わからなくもない美しい姿ですね。
美術館で内外の古代石像なんかを見ると、
モノ珍しさや美しさに打たれながらも
「これ・・・こんなとこにあっていいのかな~」
と思ったりすることがありませんか・・・?
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うずら
at 2010-05-21 23:09
x
白黒写真でしか見たことなかったんですけど、しっかり残ってますね~
中学校のすぐ裏で、幹線道路から近いのに、なかなか行かない場所ですけど(苦笑)
資料によれば白鳳期に建立されたらしいけど、場所柄のせいか、廃寺になるまで、数多くの戦火に巻き込まれたようですね。
かなり盗まれたらしいけど、削ってまで盗もうとするなんて、
盗人さんは、バチ当たってはらへんのですかね~?
中学校のすぐ裏で、幹線道路から近いのに、なかなか行かない場所ですけど(苦笑)
資料によれば白鳳期に建立されたらしいけど、場所柄のせいか、廃寺になるまで、数多くの戦火に巻き込まれたようですね。
かなり盗まれたらしいけど、削ってまで盗もうとするなんて、
盗人さんは、バチ当たってはらへんのですかね~?
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dendoroubik at 2010-05-21 23:27
☆うずらさん
滋賀の石仏では 狛坂の磨崖仏が好きなのですが^^
あちらは 山道を1時間以上かけて出かけないと拝めないシロモノですから ありがた味がちがいますね~
こちらは国道・・・野洲中のすぐ裏手・・・あっけないほどすぐ行けてしまうのが なんだか・・・でも この観音さん 惚れてしまいました^^
ここまで鑿を入れといて 途中で止めた理由が知りたいですね~
滋賀の石仏では 狛坂の磨崖仏が好きなのですが^^
あちらは 山道を1時間以上かけて出かけないと拝めないシロモノですから ありがた味がちがいますね~
こちらは国道・・・野洲中のすぐ裏手・・・あっけないほどすぐ行けてしまうのが なんだか・・・でも この観音さん 惚れてしまいました^^
ここまで鑿を入れといて 途中で止めた理由が知りたいですね~
by dendoroubik
| 2010-05-19 19:26
| 滋賀 湖南
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Comments(2)