2010年 05月 10日
高島 大溝祭1
滋賀には10の曳山が現在も残っているそうです。
大溝祭は湖西で唯一の曳山祭として知られています。
曳山車は宝組、龍組、湊組、勇組、巴組の五基からなりますが、
大津や長浜の曳山にくらべると、ずいぶん小さく、
間口が2メートル強、奥行きが3メートル強、高さは5メートル足らずです。
5月4日、本祭の朝、各町から山車が曳きだされてきます。
大溝祭は、江戸時代のはじめ頃、
分部光信が伊勢上野城から二万石で移封されたのち、
城下町の祭礼としてはじめられたのが起源とされています。
午前10時頃、昔、殿様の謁見場所だった惣門に五基が集まります。
一番山は「花山」、最後の五番山は「渡山」と呼ばれます。
輪番制で毎年回り持ちで巡行の順番が決まっているそうです。
渡番は祭全般の世話役を務め、翌年は花山になります。
花山代表の方の挨拶のあと、
曳山は日吉神社へ向かって巡行していきます。
奥に見えるのは、大溝藩の武家屋敷(笠井家)です。
いまは田んぼしかありませんが、
この一帯の陣屋内に譜代の家臣の住む武家屋敷町があったらしいです。
このあたりから、この曳山の印象が変わってきました。
「豪華絢爛」
・・・という言葉は、曳山を表現する紋切り型です。
この曳山の紹介文なんかにも、
そんな言葉が使われることが多いですが、
祇園祭なんかで見慣れた曳山とくらべてしまうと、最初は正直
「なんかショボいな~」
・・・という印象を拭えませんでした。
豪華絢爛とはほど遠い・・・
しかし、町並みを抜け、田園を渡っていく曳山を見ているうちに、
この曳山の、鄙びた・・・というかのどかな風景のなかの
えもいわれぬ華やかさに、惹きつけられていきました・・・
神社への急坂を一気に駆け登っていくところで、
その印象は更に強くなります。
まもなく日吉神社です。
田んぼの水面に少し写りながら田園を渡っていく曳山の写真はいいですねー。
こういう祭は スポンサーもつかずにひっそりとおこなわれていますので
派手さはないものの しみじみとした味わいがあって好きですねー
時計が逆回りしたような 懐かしい印象を受けました^^
大溝祭の曳山の写真は、いつもこの田植えが終わったばかりの田んぼごしです。
でも、これしか知らないんで、その後の様々な儀式がどんなのか、すっごく楽しみで~
ありがとうございます!
引く人々の衣装も、なんか浴衣っぽくてのどかですね~。
町中を曳かれていくときには たいして思わなかったのですが
田んぼを渡っていくときあたりから
この祭のよさがじわじわ感じられますね
田んぼのなかを巡行する曳山も珍しい・・・?
このあと 神輿が萩の浜へ渡ったりと
小さい曳山車とはいえ やはり雄大な祭ですね
宵宮もいいらしいですね^^