2009年 10月 11日
米原曳山祭 子供歌舞伎1
米原曳山祭は湯谷神社の秋の祭です。
長浜の曳山を真似て、
江戸時代末期から行われていたと伝えられるこの祭りは、
曳山を町内でひきまわすだけでなく、
小学生男児による子供歌舞伎が
舞台で繰り広げられることで有名です。
今年の演目は『銘刀石切仏御前 三段目 西八条之段』
「平家物語」の白拍子、妓王と仏の物語と
「平治物語」のエピソードをミックスした創作です。
石川県小松のお旅祭で上演されたものとのことです。
口上も今回が初めての試みらしいです。
小学一年生の男の子です。
権勢をほしいままにする西八条の平清盛のもとに、
加賀の国から白拍子(踊りを生業にする女芸人)「仏」が
舞いを見て欲しいと訪ねます。
最初は全く相手にされませんが、
清盛の寵愛を一身に受ける同じ白拍子の「妓王」は
「仏」の気持ちがよくわかり、
舞を見てやるよう強く勧めます。
ようやくお目通りが叶い、
清盛のまえで舞いや琴を披露する「仏」・・・
(琴もこの歌舞伎のために
、一から習い憶えたといいます)
「仏」の舞いを見た清盛は、たちまち彼女の虜になり
、専属の白拍子にしようとします。
「仏」は清盛に舞いを見てもらいたかっただけなので
固く固辞しますが、清盛はそれを
「妓王」に対する遠慮と見てとり、
逆に「妓王」を追放してしまいます。
よよと泣き伏す「妓王」
「萌えいづるもかるるも同じのべの草」
と障子に筆書きして「妓王」は退出します。
清盛の嫡男・重盛(清盛と一人二役)は、
清盛がこのようなわがままな振る舞いをつづけると、
天下は長くもたないと嘆きます。
館に仕える下級武士、兵太夫は、
実は源氏ゆかりの者で、清盛暗殺を狙っています。
先ほども、毒殺を図って「妓王」に未然に阻まれています。
重盛は、実はそのことを、兵太夫の額の傷から先刻承知。
捕らえることはせず、館から出て行くように言い渡します。
平治の乱の合戦で悪源太義平と
馬上で一騎打ちになったとき、
あわやという刹那、なぜか義平の郎党・・・兵太夫が
馬のくつわを引いて、太刀を遠ざけたため、
重盛は一命をとりとめたのです。
重盛はそのことを覚えていて、
それが兵太夫であることも知っていたのです・・・
なぜあのとき、馬のくつわを引いて・・・
源氏の敗因をつくってしまったか
と後悔の涙に暮れる兵太夫・・・。
重盛はあのとき義平が振るった太刀・・・
その後、数奇な運命をたどってきた
源氏の銘刀「石切」を兵太夫に譲ります。
ふたりは今度、源平が戦うときこそ、
互角の勝負をしようと約束します。
重盛たちは、来るべき源平の合戦に思いを馳せつつ・・・
戦いのない世を願いながら、
これまでの戦死者の冥福を祈ります・・・
撮っていて楽しかったでしょう。
これらの文化や美意識は今でもすばらしいものですね。
子供歌舞伎はこちらにもありますが、私はまだ見たことがありません。
子供たちの動き・・・芸達者なこと、目を瞠りますね!
湯谷神社には三基の曳山があり、かつてはそれぞれの山で子供歌舞伎が演じられていたそうですが、少子化で現在は一基のみで演じられているとのことです。
経済的な負担や労力も、たいへんなものでしょうに、頭が下がります。
子供歌舞伎は、私も今回がはじめてで、どう撮ったらよいのかわからず、中途半端な写真です・・・
夜の舞台も見たのですが、こちらはストーリーもわかっていたので、なんとなくコツはつかんで撮ることができました(笑)