2009年 01月 24日
福光時代の棟方志功
終戦間際の昭和20年、
富山県南西部の福光に棟方志功は
一家と共に移り住み、
旺盛な創作活動を送ります。
福光を去った後、昭和31年に
ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展でグランプリを受賞.
「日本のゴッホ」を夢見た男は「世界のムナカタ」になります。
『富山福光疎開時代 棟方志功作品集』
という本を見ると、
福光時代の6年8ケ月、創作意欲の高まりが
いかにすさまじいものであったか、よくわかります。
寓居跡に立つ「棟方志功記念館 愛染苑」
の前にひっそり佇むブロンズ像。
福光時代の住居兼アトリエ「鯉雨画斎」
現在は公園に移設されています。
室内の写真撮影はできませんが、
壁や天井、便所にまで絵が描かれていて鬼気迫ります。
友人の谷崎潤一郎が「愛染苑」と名づけた話は有名です。
瞞着(だまし)川(いい名前!)。
疎開していた当時、ムナカタは
この豆黒川に好んで訪れていたといいます。
加賀の殿様がカッパに騙されて
一晩中歩き通したという伝説を聞いたムナカタは
「瞞着川版画巻」という
全三十九枚の版画制作します。
そのうち十三枚が石碑になって、
川沿いの散策路に置かれています。
この川のほとりで、カッパの絵を空想で描いていたら、
「写生かね」と通りすがりの人に訊かれて、
なるほど、と思った…という出だしが笑えます。
今では、瞞着川(だましがわ)が通り名になっています。
川の果てに白山が見えます。
光徳寺「蓮如上人の柵」。
ムナカタは最初ここに疎開して、
創作活動をつづけます。
「桑山も躑躅の院も秋ならむ その裾山の竜胆咲けるや」
「華厳松」。
寺の裏山を散策していたムナカタは
躑躅(つつじ)の咲き乱れる山中で、
突如強烈なインスピレーションに打たれ、
山から駆け下りて一気に描き上げた、
と云われています。
「華厳居、稲妻・牡丹・芍薬図」
「無量寿」
ムナカタ作品以外にも
内外を問わない民芸を見ることができます。
by dendoroubik
| 2009-01-24 19:14
| 富山 呉西
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