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福光時代の棟方志功

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終戦間際の昭和20年、
富山県南西部の福光に棟方志功は
一家と共に移り住み、
旺盛な創作活動を送ります。

福光を去った後、昭和31年に
ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展でグランプリを受賞.
「日本のゴッホ」を夢見た男は「世界のムナカタ」になります。

『富山福光疎開時代 棟方志功作品集』
という本を見ると、
福光時代の6年8ケ月、創作意欲の高まりが
いかにすさまじいものであったか、よくわかります。


寓居跡に立つ「棟方志功記念館 愛染苑」
の前にひっそり佇むブロンズ像。





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福光時代の住居兼アトリエ「鯉雨画斎」

現在は公園に移設されています。
室内の写真撮影はできませんが、
壁や天井、便所にまで絵が描かれていて鬼気迫ります。

友人の谷崎潤一郎が「愛染苑」と名づけた話は有名です。

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瞞着(だまし)川(いい名前!)。

疎開していた当時、ムナカタは
この豆黒川に好んで訪れていたといいます。

加賀の殿様がカッパに騙されて
一晩中歩き通したという伝説を聞いたムナカタは
「瞞着川版画巻」という
全三十九枚の版画制作します。

そのうち十三枚が石碑になって、
川沿いの散策路に置かれています。

この川のほとりで、カッパの絵を空想で描いていたら、
「写生かね」と通りすがりの人に訊かれて、
なるほど、と思った…という出だしが笑えます。

今では、瞞着川(だましがわ)が通り名になっています。

川の果てに白山が見えます。

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光徳寺「蓮如上人の柵」。

ムナカタは最初ここに疎開して、
創作活動をつづけます。

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「桑山も躑躅の院も秋ならむ その裾山の竜胆咲けるや」

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「華厳松」。

寺の裏山を散策していたムナカタは
躑躅(つつじ)の咲き乱れる山中で、
突如強烈なインスピレーションに打たれ、
山から駆け下りて一気に描き上げた、
と云われています。

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「華厳居、稲妻・牡丹・芍薬図」

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「無量寿」

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ムナカタ作品以外にも
内外を問わない民芸を見ることができます。
by dendoroubik | 2009-01-24 19:14 | 富山 呉西 | Trackback | Comments(0)