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2年まえに能登半島を半日で巡ったとき、
分家した「下時国家」に寄っただけで、
こちらはスルーしてしまいました。 

昨年「名舟大祭」を見物した際、2日目(8/1) 
午後からはじまる祭のまえに、
駆け足ながら見学することができました。

そのとき、いちばん目を惹かれたのは、
桃山時代風の公卿書院造、大納言格式の 
「御前の間」・・・その金縁天井を区切る欄間に彫りだされた
蜃気楼でした。 蜃気楼の欄間なんて、なかなかシャレてますね。

古代中国では、蜃気楼は
大ハマグリの吐く息によって発生するもの
・・・と信じられていたといいます。 

「蜃」は大ハマグリ。「気」は息。「楼」は建物。

大ハマグリの吐いた息で描かれた建物。 
欄間にも ちゃんと大ハマグリが彫りだされていました。

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壇ノ浦で敗れた平家の武将、平時忠は 
「三種の神器帰座」によって
軌殺は免れたものの、能登、珠洲に配流。
その子、時国は平家であることを捨て、
「時国」姓を名乗り、これがこの家の興りです。 

のちに一族は、この地を支配する豪農として長きにわたり繁栄。 
江戸時代には天領、大庄屋として名字帯刀も許されます。

現在の上時国家は、天保2年、28年の歳月をかけて
完成したといわれる大規模な住宅(重要文化財)。 
威圧されるような堂々たる建物ですが、内部はいたって質素。 
ただ、この「御前の間」だけは例外です。

かつて加賀藩主が訪れたとき

  余は中納言ゆえこの部屋に入るわけにはゆかぬ

と断られ、やむなく天井の一部に紙を貼って 
格式を外し入室されたという逸話があります。
・・・と、案内のテープで説明がありました・・・
by dendoroubik | 2012-01-22 00:00 | 石川 | Trackback(2) | Comments(2)

兼六園の雪吊り

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  こちらは、兼六園のなかで
  もっとも枝ぶりが良いといわれる<『唐崎の松』です。
  加賀藩13代藩主、前田斉泰が近江八景のひとつ、
  びわ湖畔の『唐崎の松』から
  種子を取り寄せて育てた黒松です。 
  柱に縄で円錐形に組まれた『雪吊り』は、
  雪の重みによる枝折れを防ぐために施されるもので、
  冬の訪れを告げる金沢の風物詩としても親しまれています。

ガイドの女性が説明し、そのあとツアー客が 
『唐崎の松』のまえで記念写真を撮ります。 
僕はそのびわ湖畔の唐崎からやってきたのですが、
たまに訪れるその本家の霊松のまえで
誰かが記念写真を撮るシーンなんて
ついぞ遭遇したことがありません(笑)
記念写真どころか、唐崎にわざわざ 
「観光」に来る人さえ稀です。

『近江八景』では「唐崎の夜雨(やう)」
として取りあげられてはいますが 
夜なんてなおさらです。

それに引き換え兼六園版『唐崎の松』は
ライトアップなんかもされるほどの貫禄ぶり。 
おまけに、歌川広重の描く画のように、
雪吊りの縄がまるで松の枝に
夜雨が降るかに見えてくるから不思議です・・・

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by dendoroubik | 2011-12-08 18:00 | 石川 | Trackback | Comments(6)

能登15 時国家

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輪島市街から車で20km足らず、
岩倉山の麓に上時国家(本家)と
300mほど離れて、この下時国家(分家)が建っています。

江戸中期に建てられた民家建築で、
国の重要文化財に指定されています。

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by dendoroubik | 2010-06-16 06:09 | ◇能登半島一周記 | Trackback | Comments(2)

和泉式部の墓

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新婚の頃、京都と奈良の境、
木津町(現木津川市)というところに住んでました。

近所に「和泉式部の墓」というのがあり・・・
てっきりこれがホンモノの墓だと。

木津川は、昔「いづみがわ」
(百人一首の「みかのはら わきてながるるいづみがわ・・・」)
といわれ、墓のある町名は「泉町」・・・

これは 正真正銘の墓だと思い込んでました・・・

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by dendoroubik | 2010-03-13 00:00 | 京都 | Trackback | Comments(2)

金沢 卯辰山

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卯辰山は、金沢市内を流れる浅野川の右岸にある
標高141mのなだらかな丘陵地です。
金沢城からの卯辰(東)の方角にあたることからその名がついたといいます。

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by dendoroubik | 2010-01-07 13:41 | 石川 | Trackback | Comments(2)

大聖寺駅の芭蕉句碑

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JR西日本が発行している観光パンフレットは、出勤前、毎朝欠かさずチェックしています (笑) 明日から10月ということで、各シリーズの10月号や秋号が出揃いはじめました。 『旅ごよみ』 10月号は熊野古道や石見銀山、関西1デイパスで戦国ゆかりの地めぐり(滋賀の坂本や安土も出てきます) 鉄道遺産、倉敷あんこめぐり・・・の特集です。 『ハイキング』 10~12月号も出ました。この冊子は、写真はないのですが、名所旧跡やシブいスポットのコースが書かれていて参考になります (但し、あくまでもJR発行なので 「そこ行くなら京阪使うやろ~!」 と思わず突っ込みを入れたくなるような箇所までJR基点で書かれています(笑) そして、今回秀逸だったのが北陸三県の観光課が企画している 「北陸物語」 シリーズ 『北陸秋物語』 です。 巻頭特集が 「芭蕉が歩いた秋の北陸紀行」 (でも、なぜか表紙の写真は芭蕉が行かなかった錦秋の立山です)

これを読むだけで、大垣を除く 『奥の細道』 の後半部分がわかったような気にさせられます。 新潟と富山の県境近く、市振の高台から日本海をバックに北陸本線を走る列車を捉えた写真なんかは、思わず旅情を誘われます。

といわけで
by dendoroubik | 2009-09-30 22:50 | 石川 | Trackback | Comments(4)

名古屋 鳴海の千鳥塚

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芭蕉最古の句碑といわれる千鳥塚は、
名古屋市緑区にあります。

万葉からの歌枕。

千鳥が群れる情景を想像していたので、
ベッドタウンのふつうの公園を通り過ぎてしまいそうになりました。

江戸時代は、東海道の本陣があって、
賑わった街道筋ですが、その面影もありません。

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by dendoroubik | 2009-08-29 16:36 | 愛知 | Trackback | Comments(0)

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「少年よ、大志を抱け!」

クラーク博士の像があることで、
あまりにも有名なさっぽろ羊ケ丘展望台ですが、
その名前の雄大さに較べて・・・羊がチョロチョロ・・・

ちょっとガッカリスポットでした・・・。

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札幌ドームが、わずかに風景に彩りを加えます・・・。
by dendoroubik | 2009-08-02 09:27 | 北海道 | Trackback | Comments(0)

そんなこんなで、義経一行は安宅の関へ。
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義経一向がが山伏に変装して奥州に落ちていくイメージは、『吾妻鏡』、『源平盛衰記』、『義経記』などからきていますが、安宅の関で勧進帳を読み上げる、ごぞんじ歌舞伎『勧進帳』や、その基になったお能の『安宅』のシーンは、原著にはなく、後世の創作といわれています。

(とエラそうなことを言ってますが、ウケウリです。文学部出身なのですが、NHK教育で日曜の昼下がりにやっている歌舞伎やお能をボンヤリ見ている以上の知識はありません・・・トホホ)

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by dendoroubik | 2009-07-14 23:05 | ◇富山マイナー観光案内 | Trackback | Comments(0)

石川 尼御前SA

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全国津々浦々・・・というわけではないにしても、各地でかなりの頻度で出会うのは、弘法大師と芭蕉、それに義経の事跡です。

義経主従の中にいた尼御前・・・噂に聞く安宅の関の厳しさに、これから先の旅路を女であるがゆえ足手まといになりはしないかと憂いて、この岬から身を投げた・・・という伝説がこの尼御前岬の名前の由来になっています。
そんなこと、最初からわかっているのに、ついてこなけりゃいいのに・・・と考えるのは、現代人の感覚ですね(笑)。

関西から北陸自動車道を金沢、富山へ向かう際、必ずこのサービスエリアに寄ってしまいます。
そして、名物・・・でもなんでもない豚汁定食を食べます(笑)

 ※註 特においしいというわけでもないので要注意

SAに隣接した岬を散策します。

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by dendoroubik | 2009-07-14 20:29 | 石川 | Trackback | Comments(0)