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梅雨の蒸し暑さを吹き飛ばすような笑顔を振りまきながら
浪花のべっぴんさんたちが涼しげな浴衣姿で、
谷町筋をゆく・・・どこか浮世離れした光景です。

とりわけ我が目を疑いたくなるのは、空中で回転する「かごあげ」・・・

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天神祭、住吉祭とともに「大阪三大夏祭り」と呼び慣わされる愛染祭。

なぜ「いくたま夏祭り」が入っていないのかと思うのですけれど、
ともかくそんな風に呼ばれているのだそうで、
梅雨の真っただ中に、他の夏祭りに先駆けておこなわれることから、
締めくくりとなる住吉祭と併せて

「大阪の夏祭りは愛染さんで始まって住吉さんで終る」

・・・とも言われるのだそうです。

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この時期、各地でおこなわれる御田植祭。

とくに6月は、三重県の伊雑宮御田植祭(6月24日)や、
大阪の住吉大社御田植(6月14日)など有名なお祭りがあり、
滋賀県犬上郡の多賀大社でも、6月の第一日曜におこなわれます。

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北近江の覇者、浅井氏が織田信長に攻め滅ぼされたあと、
戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられた藤吉郎は
羽柴秀吉を名乗り、はじめて城持の大名となります。

小谷城に入った秀吉は、
ほどなく琵琶湖沿岸の一漁村、今浜の地を長浜と改名。
長浜城を建造・・・城下町を整備し始めます。

秀吉の天才的な城下町経営の手腕が
はじめて発揮されたのがこの長浜。
開町の恩人秀吉に対する町民の信仰には特別なものがあります。

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ある程度の規模の町が近接していると、
お互いにライバル意識をもってしまうのはよくあることで、
滋賀県では長浜市と彦根市がその例です。

共に滋賀県を代表する観光地でもありますので、
似たようなイベントもいくつかあります。

なかでも、豊臣秀吉の出世城といわれる長浜城が
約400年ぶりに再興されたのを記念して始まった「出世まつり」と、
井伊直弼の誕生日である10月29日を中心に行われる
彦根市の「お城まつり」は双璧でしょう。

しかし「お城」というキーワードでおこなわれるとなると、
鉄筋コンクリートの再建長浜城より、国宝彦根城に分がある。
お城そのものよりも、自由な経済活動による繁栄で
華やかな文化を育んできた「城下町」にスポットを当て、
これを称揚しようというのがこのイベントです。

・・・というのは、僕の勝手な妄想です(笑)

今年で3回目を迎えます。

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「五箇山民謡祭」では 21の団体が民謡民舞を披露。

会場の移動や昼食を摂ったりしている間に、
「小谷麦屋保存会」「新川古代神保存会」
「利賀村むぎや保存会」「伏木帆柱起し祝唄保存会」
「越中夜高太鼓保存会」「越中五箇山民謡保存会」
・・・6つを見逃してしまいました。残念です。

すでにUPした「南砺平高校郷土芸能部」
「越中五箇山こきりこ唄保存会」「越中五箇山麦屋節保存会」
「願念坊踊保存会」「魚津せりこみ蝶六保存会」
「明日の稚児舞保存会」「五箇山塩硝鉄砲隊」
「越中八尾おわら保存会」「越中城端麦屋節保存会」
「氷見網起し木遣り保存会」以外に見ることができた演舞は4つです・・・

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「木遣り」の語源は「木を遣り渡す(運ぶ)」。
重いものを引きあげるときに、
気合を入れるための掛け声や、
それがやがて歌へ変化していったもの・・・。

棟上げの際の祝歌として唄われるものや、
江戸鳶がひろめたとされる木遣りなどが有名ですが、
「氷見ブリ」・・・の水揚げで全国にその名を馳せる、
氷見の浦でも、江戸末期から重い網を起こすために、
木遣り歌が唄われていたそうです。

漁業の近代化とともに、途切れてしまったこの歌を、
伝え残そうと活躍されているのが
「氷見網起し木遣り保存会」のみなさんです・・・

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初めて「麦屋節」をライブでを見聞きしたのは、
城端の麦やまつりで・・・でした。

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八尾町でおわらを継承する11の町・・・

東新町、西新町、諏訪町、上新町、鏡町、
東町、西町、今町、下新町、天満町、福島を「支部」
と呼ぶことを、不思議に思った人も多いと思います。

「支部」というからには「本部」があるのが道理で、
昭和4年の発足し、各町の代表者で構成される
この「越中八尾おわら保存会」が本家本元。

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五箇山で生産された生糸は、城端で絹織物となり
小松絹などと共に「加賀絹」として上方や江戸に。

この運搬ルートはさながら「日本のシルクロード」。

たとえば生糸の売り買いを通じて
近江長浜の子ども歌舞伎が、加賀小松に移入されたり
江戸への商用で習い覚えた端唄が
城端曳山まつりの庵唄に受け継がれるなど
「シルクロード」の痕跡は祭りにも残されています。

一方、五箇山の蚕の口から吐き出される美しい生糸ではなく
その糞からつくりだされた塩硝(黒色火薬の原料)が
どの道を通って金沢まで送り届けられたか・・・
「絹の道」ならぬ「塩硝の道」は明らかにされていません・・・

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