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かつては隣の藤井の「天満宮」でも、
同じ日に祭礼がおこなわれていたようですが、
現在は、4月2日に近い日曜日におこなわれています。
宮司さんは、両社を兼任されているそうで、
2日は午前中に天満宮の神事のみを執り行い、
午後から相田の天神社のお祭りに臨まれます。

天神社に行列と神輿が揃うと、
お宮移し(御霊移し)の儀式がおこなわれます。

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若狭地方には「王の舞」と呼ばれる舞が、
16ケ所もの神社で奉納されているそうです。

昨年の4月、宇波西神社の例祭で、
はじめて見せていただきました。

今年は、宇波西神社からもほど近い、
相田地区(福井県三方上中郡若狭町)
天神社でおこなわれるお祭りを覗かせていただきました。

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 「花換えしましょう」


敦賀気比高校が、甲子園で、春夏通じて北陸勢、
初の全国優勝を飾ったその日、
福井県敦賀市で花換まつりがはじまりました。

その翌日、金崎宮へ、花換えをしてきました・・・。

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「おーい。たけのこの里!」
「なんや。きのこの山!」


創作ではなく、実際のこの二人の会話です(笑)

滋賀県東近江市蒲生「帯掛ケンケトまつり」。
昨年4月に見たのですが、
ブログにアップする前にPCが壊れてしまい、
手元に残っているのは、FB投稿していたこの1枚だけ。

高木神社、旭野神社、山部神社、
3社合同の盛大なお祭りで、見どころも多かったです。

「ケンケト組」という年長の若者たちが長刀振りを披露し、
「七人子供」という年少の7人の子供(写真)が、
「カンカ」というお囃子を奉納します。

これも、また見にゆきたい祭りのひとつです・・・。
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滋賀県甲賀市土山町黒川、大宮神社の「黒川太鼓踊り」。

「帯掛ケンケトまつり」は4月23日に近い日曜日、
「黒川太鼓踊り」は4月の第三日曜日におこなわれ、
昨年は同日だったので、午前は太鼓踊り、
午後からケンケトまつりとハシゴができました。
4月20日でしたので、水口まつりもあり、
祭り好きにはなかなかに悩ましい1日でした(笑)

棒振りの奇抜な装束と踊りも目を惹きますが、
上組と下組(集落の区分)が、道中で演じる
「出会い」の儀式が感動的でした。

両者が徐々に近づき、触れるほどまでになるや、
棒が折れるほど激しく打ち合い・・・
しかし、すぐに抱き合って和睦するのです。

ただ、この祭りも、この1枚しか残っていません・・・。
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 いずれを見ても蕾の花・・・

熊谷次郎直実のこのセリフ、いつもグッときます。

初陣であたら命を落とそうとする敦盛、
儚く散ってゆく、その恋人、玉織姫、
敦盛と同年で、やはり初陣で瀕死の熊谷小次郎。

戦場で消えてゆくのは、若い命ばかり・・・。

敦盛を助けるために、わが子小次郎の首を
刎ねなければならなかった熊谷次郎直実。

 もののあはれを、今ぞ知る・・・

『一の谷嫩軍記 須磨の浦の段 組討の場』
出町の熊谷次郎直実、うまかったです。

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富山県砺波市の「出町子供歌舞伎曳山祭り」へ。

北陸の子供歌舞伎といえば、
お隣り石川県の「小松お旅まつり」がつとに名高いですが、
富山県内には、かつて9つもの曳山歌舞伎があったそうです。

富山、小矢部、高岡(戸出、伏木)、滑川、魚津、黒部、入善・・・
ただ、現在まで伝承されているのはここ砺波の出町のみ。

なぜ、他の曳山歌舞伎が途絶してしまったのかはわかりませんが、
220年の歴史を刻み、伝承されてきたことに、
敬意を表したくなるような、すばらしい行事でした。

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春日山(本町組)の外題は
「太刀盗人」(たちぬすびと)。

田舎武士とスリ、目代と従者の
4人が繰りひろげる、とてもおかしい法廷喜劇・・・。

滑稽さや剽軽を巧みに表現する
子ども役者の演技力に脱帽です。

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三番山、月宮殿(田町組)。
「碁盤太平記 山科閑居 大石妻子別れ」。お馴染みの外題です。

奇しくも、「重の井子別れ」と同じ近松門左衛門の作。

武士の次男だった門左衛門は、14歳のとき、
播州赤穂藩、浅野家の御典医を勤める、
近江国野州郡の近松家に養子入り。

四十七士、近松勘六行重は義理の兄。

勘六が江戸へ下る際、
門左衛門は彼の子供たちに類が及ぶことを避けるため、
養子に取り、こっそり商人に育てあげています。

門左衛門と浅野家、大石家との関係は、
ここでは書き切れませんが、
赤穂藩の人々の忍従を間近で見てきた、いわば当事者。
彼らに対する共感と、幕府に対する怨念、
そしてこの事件の真相を広く世に知らしめ、
後世に伝える・・・という意図があったにちがいありません・・・。

「忠臣蔵」を単なる復讐劇から、人間ドラマへ造形したのは、
やはりこの作品だったのではないかと・・・。

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つづきです。

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