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応神天皇の四世孫、彦主人王とその妃、振媛を祭神とする
滋賀県高島市安曇川町常盤木の三重生神社。

「三重生」と書いて「みえう」「みおう」と読むようですが
「みょう」と呼び習わされているようです。

彦主人王と振姫は、男大迹王・・・26代、継体天皇の父母。

4月29日・・・
(明治維新以前は、ふたりの命日とされる2月18日)
「うしの祭り」と呼ばれる例祭がおこなわれます。

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弐番山は、高砂山(宮町組)

外題は「加賀見山旧錦絵」
(かがみやまこきょうのにしきえ)
-竹刀打ちから奥庭仇討の場-

まるでマキノ映画のように、
一瞬も飽きさせない舞台の演出は、
もちろん、市川団四郎さんです。

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毎年、4月18日、滋賀県高島市でおこなわれる「川上祭」。

日置神社(酒波)、津野神社(北仰)の祭礼ですが、
両社は、古く「川上庄」の惣社でしたので、
参加する氏子は、旧今津町北部と
旧マキノ町の一部・・・と、広範囲にわたります。

とくに豪華な曳山や
装飾品などが登場するわけでもないこの祭りが、
見る人に、とても壮大な印象を与えるのは、
この参加者の夥しさが一因をなしているかもしれません。

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「さあ・・・」




夜明けまえよりの化粧と早朝の朝渡り、
八幡宮から、3回の狂言をおこない、
御旅所での最後の執行に向かう役者。

その瞳に、どんな景色が映っているのでしょう・・・

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14日の宵宮と15日の本日は雨の長浜でした。

豪華絢爛な曳山の風情を
味わえる機会は少なかった本日ですが、
夕方には雨もあがり、
夜、御旅所に曳き揃えられた曳山には、
いつも通りに提灯も灯されました。

照らし出された舞台が、暗闇に浮かびあがり、
夢幻の世界がひろがります・・・

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宵闇が迫ると、シャギリの音も、
いちだんと心に沁みわたります・・・・

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死と隣り合わせた人々の物語も、
より親密に感じられたり・・・

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思えば、悲しいふたつの家族・・・

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 娘、覚悟はよいか

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 南無阿弥陀仏

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最後のヤマが、御旅所まえまで来ました。

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観衆を魅了する、最後の魔法をかけるために・・・

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何なんでしょう・・・
貫禄すら感じさせるこの余裕は。

行法使いの鳴神上人が乗り移ったのでしょうか・・・

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四番山が、御旅所へ曳行されてゆきます・・・   (了)
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四番山、壽山(大手町組)

外題は、歌舞伎十八番の内「鳴神」

こんなキワドイ話を・・・

また、後半の荒事がどんな風になるのか・・・
あれこれ想像して楽しみにしていた「鳴神」。

しかし、そんな僕のチャチな想像をはるかに越える
とてつもなく楽しい「鳴神」でした。


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参番山(祝町組)、外題は「仮名手本忠臣蔵」
(かなてほんちゅうしんぐら)
-九段目 山科閑居の場-

市川団四郎さんの実姉、岩井小紫さんは
昨年の長浜で「碁盤太平記」を振付されてましたので、
2年連続の忠臣蔵、山科閑居ということになります。

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壱番山、猩々丸(船町組)

外題は「菅原伝授手習鑑 車引」

歌舞伎の様式美に溢れた、
開幕を飾るにふさわしい華やかな舞台・・・。

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長浜曳山まつり、15日の本日(ほんび)の朝。

福田寺公家奴振りが、
長濱八幡宮への朝渡りを先導していました・・・。


この日は渦巻状をなした雨雲が西日本を横断し、
雨が降りつづくかと思えば、
急激に青空が広がったりと、
めまぐるしく天候が変化する一日でした。

朝から、止み間なく降りつづいていましたが、
奴振りが長濱八幡宮の石畳の参道の差しかかると、
みるみる青空がひろがってゆくのが不思議でした。

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蓮如上人が三年間滞在したという長沢御坊(福田寺)。

住持の摂専が、従兄弟の井伊直弼の取り計らいで、
摂政関白右大臣二条斎敬の妹、かね子を正室に迎えた際、
随従してきた供方が伝えたといわれるこの奴振り。

全国に伝えられる奴振りは、
「武家奴振り」と呼ばれるもので、
「公家奴振り」は、ここだけのものだけだそうですが、
正直、そのちがいが僕にはわかりませんでした(笑)


 ヨーイヤセ、アレワイサノサ-

 コレワイサーノセー



超スローモーな動きで、
まるであたりが真空になってしまったかのような
不思議な雰囲気をつくってゆきます・・・

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前夜の「夕渡り」とは逆の順路で、
一番山から順に八幡宮へ向かう「朝渡り」。

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今年の出番山は、くじ順に、
猩々丸(船町組)、高砂山(宮町組)
鳳凰山(祝町組)、壽山(大手町組)

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御幣、役者、若衆、中老が本殿へ参拝します。

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紋付に角帯、化粧まわしをつけた美々しい姿の
長刀組の力士に先導されて「太刀渡り」がはじまります。

これがこの祭りのはじまりとなった大切な行事で、
とても厳粛な雰囲気のもとにおこなわれます。

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長濱八幡宮は八幡太郎義家の発議によって
創建されたものといわれます。

その義家が八尺の神木を太刀にして
「後三年の合戦」の凱旋をしたという故事にちなむもの。

この地ではじめて大名になり、
戦火で衰微した長濱八幡宮を再興した秀吉は、
八幡太郎の太刀渡り行列を家臣に再現させ、
後にはこれを町年寄十人衆」に行わさせ、観覧した、

・・・と神社の由来書にあるのだそうです。

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鎧姿の八人の子供が、長さ八尺・・・
2メートル余りの木刀を腰に差して渡っていきます。
背中には剥き身の刀をクロスさせて背負い、
右手にも剥き身の刀。

本殿参拝のあと、御旅所へと渡ってゆきます。

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最後に長刀組の中老による「翁招き」。

このとき、ふいにまた雨が降り出しました。

「長刀組」と書かれた札のついた青竹を抜き、
本殿へ向けて3回振ってから、
その年の壱番山の曳山の方へ向けられます。

これを合図にシャギリが一斉にはじまり、
神前狂言の幕開け・・・となります。

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曳き揃えられていた4基の曳山から、
壱番山、猩々丸が神前へと曳き出されると、
またもや不思議なことに、
雨がピタリと止み、青空がひろがってきました・・・。

「本日」では、八幡宮の神前から御旅所まで、
計4回の子ども狂言が執行されます。

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昨年の12月、浜大津で、
「近江の祭りフォーラムin大津」というイベントがあり、
翌年、出番を控えた猩々丸の子供たちが、
すでに練習のはじまっていたシャギリを聞かせてくれました。

同じ舞台で、三番叟も披露されたのですが、
奇しくも、猩々丸は壱番くじを引き当て、
本番でも三番叟が演じられることとなりました。

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アーケード下、金屋例席で、
壽山の「鳴神」の開演を待っていると、
直前に、白雲、黒雲が湧きあがり、雷鳴が轟きました。

洒落て言ってるのではありません。

ほんとうに雷が鳴ったのです。

これには、ゾクっときてしまいました!

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来年の秋、ユネスコ無形文化遺産への
正式登録を目指す、長浜曳山まつり。

今年も感動的でした。   (つづく)
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来週は、いよいよ長浜曳山まつり・・・。


3年まえに写真をお送りした壽山のある方から、
今年のパンフレットをお送りいただきました。

ページをめくっていると、広告のページに、
そのときの写真を使っていただいていました。

小学校低学年とは思えない、
ムーディな雰囲気を漂わせていたこの少年、
今年は当番山で、なんと「鳴神」を演じるそうです。

しかも、振り付けは水口一夫氏。
今から楽しみで仕方ありません(笑)

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釈迦族の王、浄飯王に嫁いだ磨訶摩耶は、
ある夜、六つの牙を持つ白い象が天より降りてきて、
右脇より身体に入る、という不思議な夢を見ました・・・。

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