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比叡山の麓・坂本・西教寺では、
毎年、4月5日から7日まで、法華千部会が行われます。
中日の今日、末寺の僧侶、婦人会・御詠歌講、
雅楽による大練供養などがありました。

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近江神宮の流鏑馬は、平成2年、
鎮座五十年の奉祝行事とし奉納されてから、
毎年11月3日、開催されています。

一の鳥居からづづく参道には、早咲きでピンクの濃い
陽光桜が植えられており、訪れるたびに

  「この季節にやったらいいのに・・・」

・・・と思っていましたが、
そんな願いを抱いていたのは僕だけじゃなかったらしく、
今年、鎮座70年と流鏑馬奉納20年を記念して、
流鏑馬が行われました。

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左義長の担ぎ手のことを「踊り子」というらしいですね。

しかし・・・特定の踊りを踊るわけでもなく、
むしろ「踊り」という言葉から連想されるイメージとは
対極にあるような荒々しい祭の担い手を、
あえて「踊り子」と呼んでしまうところに、
この祭の一筋縄でいかない、
まがまがしさを感じてしまうのは自分だけでしょうか。

先日、高橋真名子さんの
『近江古事風物詩 さざなみの回廊めぐり』
という本(河出書房新社)を読んでいたら、
こんな一文がありました。

 「信長は奇抜な衣装を着て大騒ぎするのが
  好きだったみたいだからね。
今は少なくなったけど、
昔は左義長祭の踊り子たちは女装したりして大騒ぎだったんだ」

左義長まつりの奇抜な装束や化粧は有名ですが・・・
400年前のこの祭がどんなだったか・・・?
江戸時代を通して、どんなふうだったのか・・・?
明治時代にも女装してた・・・?

すべて「?」ですが・・・

「いまどきの若者」が、伝統ある祭に、
無軌道な悪ふざけを持ち込んだのではなく、
少なくとも数十年まえには
「女装したりして大騒ぎ」するのが主流だったんですね。


最近は女装が少なくなった・・・というのも・・・いやはやなんとも。

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安土城の信長は、正月に左長祭を行い、
自ら南蛮笠、錦衣などのキテレツな姿で踊ったと
『信長公記』にあるそうです。

信長亡きあと、豊臣秀次の八幡城下に移住してきた
安土の人々は、先住民の祭(「八幡まつり」)とは別に、左
義長祭を氏神、八幡宮の祭礼にしたといいます。

祭は2日間あり、1日目は奉火の順番を決めるクジ取りや、
左義長のコンクールなどがあります。

2日目に行ってきました。

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高月町雨森の高時川沿いに数百匹のこいのぼりがたなびいいています。
今回、初めて訪れたのですが、20年以上も前から揚げられているそうです。

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奴振り(やっこぶり)の魅力を何と表現すればいいのでしょう・・・

喩えるなら・・・球場で、はじめてホームスチールとか、
トリプルプレーとかを目の当たりにした衝撃・・・に近いでしょうか。

わけのわからないまま、何事かが起こっているという
高揚感だけがふいにやって来て、
後から言葉や解説でその高揚感を馴致する・・・みたいな・・・。

午後2時、坂田明神宮を出発します。

編み笠を被った奴たちが、掛け声と共に、左右に揺れ出します。
何が起こっているのか、一瞬、わかりません。
視界自体が揺れてる感じです。
よく見ると、足を左右に蹴り上げて、
のろのろと前進しているみたいです。

 「いやさ」
 「よいとまかせ」

と歌いながら、奴たちが蹴り奴を披露しながら、町を練り歩きます。

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明日は仕事で、来れないなぁ・・・

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約1ケ月半に及ぶ日吉山王祭も残り3日。

今年の桜ももう、おしまいです・・・

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「氷見ブリ」で全国に名を馳せる漁業の町、氷見。

毎年4月17日に「まるまげ祭り」という行事がおこなわれます。 

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4月の最初の週末3日間、
富山市内に全国からチンドンマンが集結。

『チンドンコンクール』が開かれます。

コンクールの他に、町流しやパレードが
松川べりや駅前で繰り広げられ、見飽きません。

富山大空襲から市街地がようやく復興されつつあった
昭和30年、商工会と富山市の発案で開催された
といいますから、もう50年以上の歴史・・・。

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