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4月12日から15日にかけてがメインの山王祭ですが、
3月のはじめの神輿上げから、1ケ月半にわたり、
様々な神事がおこなわれています。

 「いったいどんな祭りなのか?」

・・・とうてい一言では言い表せません。

まるで小さなエピソードが輻輳し、
やがて4月半ばにクライマックスを迎える、
壮大な叙事詩のようにも思えます。

3月27日は、「神輿」とともに、もうひとつの主役である
「大榊」が登場する重要な日です。

朝、「直木神事」を拝見させていただきました。

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滋賀県甲賀市土山。

今年で17回目を迎える、「あいの土山斎王群行」がおこなわれました。

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土曜日のメイン行事は「渡御」<。

十三基の山車が、3時間以上かけて、
近江八幡の旧市街地を練ってゆきます。

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美しさを競って製作される干支のダシ・・・

でも、あんまり凝りすぎると重量がかさみ、
担ぐのもたいへんですし、
2日目におこなわれる「ケンカ」
といわれる組み合わせで不利になります。

たとえ、コンクールで1位をとっても、
「ケンカ」で負けてばかりでは立つ瀬がない。

タフでなければ生きてゆけず、
美しくなければ出る資格のない、
ハードボイルドな祭りです(笑)

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「湖国に春を告げる祭り」・・・

近江八幡の「左義長まつり」へ。

3月中旬の週末のおこなわれるこの祭り、
いちばんの見所は日曜日の「ケンカ」や、
その夜の「奉火」だと思うのですが、
今年は都合がつかず、土曜のみの見物となりました。

「自由げい歩」から「宮入り」、
「渡御」の途中までを見てきました。

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「比良八講荒れじまい」

近江にそんな言葉があります。

一見、穏やかに見えるびわ湖ですが、この時期、寒気がぶり返し、
比良山から突風が吹いて大荒れになることがあります。

この局地風を「比良颪」とか「比良八荒」と呼びます。

びわ湖の西側は、比良の東麓が湖に迫っていて、
急斜面を駆け降りるように吹くこの北西の風は、
全線高架のJR湖西線で
停車中の貨物列車を横転させたこともあるほど。
1941年の4月のはじめ、 死者11名を出した
旧制第四高等学校漕艇部の遭難事故も、
この「比良颪」が原因といわれます。

かつて比良にあった天台寺院で、法華経を講読する
「法華八講」とよばれる法要が営まれていました。
その時期が、びわ湖の荒れる時期と重なっていたことから
これが終わる頃に局地風も収まるという意味で

  「比良八講 荒れじまい」

という言葉が生まれたそうです。

比良(法華)八講の法要は、途絶していましたが、
昭和30年、箱崎文応大僧正によって再興。
毎年3月26日、天台僧侶によって、浜大津、
近江舞子でおこなわれています。

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「左義長まつり」の見所
・・・といいますが魅力を3つ挙げるとするなら、

食材でつくられた「ダシ」の工芸的な美しさ、
「ケンカ」の勇壮さ、 
そして、クライマックスの「奉火」の壮麗さ

・・・ということになるでしょうか。 

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近江八幡の日牟禮八幡宮では、
毎年3月の半ばに、この「左義長まつり」
翌月4月14、15日には「八幡まつり」がおこなわれます。

ひとつの神社で、これだけ大きな火祭りが
2ケ月にわたっておこなわれるというのは、
全国的にも珍しいのではないでしょうか。

まず、午後8時、馬場で5基の一斉奉火からはじまります。

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2日目の午後2時。

十二ある各町、地区の左義長が
日牟禮八幡宮まえの「祭り広場」に集結。
「ケンカ」がはじまります・・・。

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この土日、日牟禮八幡宮を中心に、
近江八幡旧市街地で「左義長まつり」がおこなわれました。

豊臣秀次の八幡城が築城されたとき(1585年)、
廃城となった安土城下から移住してきた人々によって
はじめられた祭りといわれます。

日牟禮八幡宮には応神天皇のころよりはじまったとされる、
土着民による松明祭りがあり(「八幡まつり」
来月の14,15日におこなわれます)
一説によると、仲間に入れてもらえなかった新来者が、
時期をズラしておこなったのがこの左義長まつりなのだとか。

安土城下でおこなわれていた祭りらしく、
『信長公記』には、城の完成を喜んだ信長が、
みずから華美な衣装で左義長踊りに加わった、
と記されているのだとか・・・。

現在の左義長まつりも、信長好みのを基調として
女装、仮装など奇抜な恰好の若者が乱舞します。

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つづいて、現在、資料館になっている「旧伴庄右衛門邸」(近江八幡市指定文化財)。
こちらは御殿雛や段飾りがメインになっています。

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