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びわ湖の間隔がいちばん狭くなった西側、堅田。 
名高い浮御堂」のすぐ南側に
「おとせ浜」 と呼ばれる小さな浜辺があります。

「おとせ浜」には、おとせの石」
という石碑がひっとりとたたずんでいます。

「おとせ」というのは堅田出身の女性の名前で 、
彼女にまつわる伝説が、この浜の名前の由来です。


こんな話です。


源平争乱の頃・・・
京の源氏屋敷に奉公していたおとせは、
主家滅亡の際、源氏の旗印である
白旗を守りながら故郷へ向けて逃れます。
大津で討手を振り切るためにびわ湖へ飛び込みますが、
白旗を握った片腕を切り落とされ、息絶えてしまいます。

その片腕は故郷の堅田に流れ着き、
おとせの子が指を開かせるまで、
白旗を握りしめたまま離そうとしなかったのだといいます。

忠義を貫いて白旗を離さなかったおとせ。
その子は母の遺志をついで白旗を守護し、
のちに木曽義仲の武将手塚太郎光盛に・・・

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聞いた話なので真偽のほどは保障しかねます。

烏帽子、直垂姿の5人衆が神楽囃子を奏しながら、
曳揃えでは必ず先頭をゆく、唯一、屋根のない「神楽台」。
大きく身を仰け反らせてを太鼓を打つそのうちの二人。

これを務めるために、会社を辞めた青年がいるといいます。

真偽のほどは保障しかねます。

・・・が、
古川祭の屋台曳行で、彼らの典雅な姿を眺めていると、
きっとその話は、ほんとうなのだろうと思えてきます。

出張を命じられてこの役がふいになるくらいなら、
僕も、おそらく同じ決断をすると思います(笑)

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毎年4月19日、20日に飛騨市古川町、
気多若宮神社の例祭としておこなわれる古川祭。

多彩な神事、行事がおこなわれますが、
なんといってもその名を天下に知らしめすのは
19日深夜の起し太鼓」です。


明け方、祭りのはじまりを告げるため、
目覚ましがわりに氏子地内を太鼓を鳴らしてまわる
起し太鼓」の風習は各地に見られますが、
古川祭の「起し太鼓」は、
これだけで独立した行事としておこなわれるのがおもしろい。

だいたい、起し太鼓」といいながら、
午後9時過ぎからはじまり、翌午前2時ごろに終わります。

眠るまえの行事ですね(笑)

大きな櫓に据えられた太鼓。
そのうえ両側に男がまたがり、
交互に太鼓を鳴らしながら、
趣きのある夜の古川の町を渡っていく姿は、
これだけでじゅうぶん幻想的な光景です。

さらに、この櫓めがけて、
各台組の「付け太鼓」と呼ばれる小さな太鼓が急襲してきます。


なぜ・・? 何のために・・・?


わかりません(笑)


わかりませんが、これがともかく盛りあがるのです。
深夜に繰り広げられる「起し太鼓」と付け太鼓」との理不尽な攻防戦。

楽しいだけでなく、美しくさえあります・・・。

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ハレの日の子供たち・・・。

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昨年につづいて、4月19日、20日、
飛騨古川の[古川祭」にお邪魔しました。

昨年同様、同僚の叔父さん宅(闘鶏楽組)に
一泊お世話になります。

古川祭」といえば、豪華絢爛な屋台(曳山)と、
なんといっても、19日の宵から
日をまたいで深夜までおこなわれる
起し太鼓」でその名を知られています。

これがメチャクチャおもしろい!

屋台の曳き揃えや[起し太鼓」には、
たいへんな数の観光客が訪れますが、
もうひとつ、しみじみ「いいなー」と思うのは、
祭りの朝の風景です。

やわらかい朝の光のなか、
豪華な屋台が、趣のある古川の町を、
町衆によって曳かれていく光景は、
とてつもなくすがすがしい・・・。

空が白みはじめる5時にごそごそ起きだし、
カメラをぶらさげて出かけました・・・。

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古川祭には、いろんなものが詰まっています・・・。

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美しいもの・・・

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飛騨古川の「古川祭り」へ。

朝、見ごろを迎えたという飛騨一之宮の臥龍桜に寄り道。

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なんとも工夫のない写真になってしまいましたが、
樹齢千百年というエドヒガンの老木は貫禄充分。

濃いピンクの花が風にゆっくりと揺れる姿はやはり感動的でした。

保護のために幹まわりへは立ち入れませんが、
この下で昼寝したら、平安朝の夢でも見られそう・・・。
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4月13日、華やかな午後の「花渡り式」も終わり、
陽が比叡山へ落ちて暮れなずむ頃・・・。

その夜の「宵宮(よみや)落とし」の4基の神輿を担ぐ
駕輿丁(かよちょう)たちが、大松明を従えて町を練りはじめます。

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4月13日「花渡り式」の終わった午後3時。
大政所、そのあと西本宮で
「未の御供献納式」がおこなわれます。

桜舞い散る日吉馬場の賑わいをよそに、
ほとんど見物人もいないなかで粛々と執り行われます。

おそらく・・・ですが・・・

山王祭の神事のなかで、女性(小学生の女の子)が、
直接、ご奉仕するのはこの神事だけではないでしょうか。

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4月13日の夜に行われる「宵宮落とし」(よみやおとし)は、
前夜におこなわれる「牛の神事」とともに、山王祭を代表する神事。

「牛の神事」では、3月のはじめに、
牛尾山(八王子山)に担ぎあげられた二基の神輿
「牛尾宮」「三宮」を麓の東本宮まで担ぎ下ろされます。

大山咋神と鴨玉依姫神、
二柱の神の結婚をあらわすといわれます。

翌朝、東本宮拝殿から、
この二基と、東本宮、樹下宮の神輿が
宵宮場(大政所)へ担ぎ出されます。

その夜、四基の神輿は、
前後に激しく揺すぶられたあと、宵宮場から落とされ、
(これが「宵宮落とし」の名の由来)
東本宮拝殿まで、担ぎこまれます。
大山咋神、鴨玉依姫神による出産、
御子神誕生の儀式といわれます。

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