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天正3年、長篠・設楽原の戦いで
武田勝頼軍に勝利した織田信長は
家督を嫡男信忠に譲り、尾張,美濃の領国を与えます。

翌年、彼は近江守護六角氏の観音寺城の
支城があったがびわ湖東岸の安土山に城を築きはじめます。

信長はどうして安土に城郭を築こうとしたのでしょうか・・・?

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祭りの日に小松の町を歩いていると、
そこかしこから楽しげなお囃子が聞こえてきます。

  「あ! 獅子舞や!」

次の子供歌舞伎上演会場へ急ぐ足をとめて、
ついつい見入ってしまいます・・・

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ゴミ収集所のゲージの後ろ、
木塀とのスキ間に彼女はいました。

もともと彼女が飛び出していた場所の前が収集所で、
カラス除けかなにかの為に
最近、ゲージが取りつけられたのでしょう。
その際に、彼女は移設されることなく
片隅に追いやられることになったのだと思います。
そんな扱いをする一方で、
つぎつぎに新しい飛び出し坊やが増設されている
・・・なんのために彼らを取りつけているのか、
ますますわからなくなります(笑)
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さすが忍者の里。

甲賀を車で走ると、
忍者が至るところから飛び出してきます。

最初はおもしろがって、
見つけるたびに車を停めて
写真を撮ったりしていたのですが、
あまりの数の多さにバカらしくなって、
4、5体撮ったところでやめました(笑)

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ところが、一体の飛び出し忍者をやり過ごして、
ふとバックミラーを覗いたとき、
そこに映った姿に強烈な違和感をおぼえました。

 
 「あれ? いま見た忍者と違う!」



甲賀流変わり身の術でも使ったのでしょうか・・・?

飛び出し忍者を前から見たときと、
反対側から見る姿がまるきり違っていたのでした。

甲賀の飛び出し忍者たちが、同じ形の板木をつかって、
異なる姿に描き分けられていることには気づいていましたが、
一体一体の裏表もわざわざ違う姿に描き分けているのでした。
しかも、裏表のキャラが、
まったく異なるところがニクい!


 「飛び出し忍者に
  こんなトラップが仕掛けられていたなんて・・・」



甲賀忍者は絶えても、
トリッキーな技で人を欺く血は、
この地に脈々と受け継がれているのを
まざまざと見せつけられる思いでした・・・(笑)
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プーさんだけじゃ何のことかわからないんで、
0系を付け足したんでしょうね、たぶん(笑)
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八日市町と三日市町のアーケードのあいだの交差点で、
橋南の五基・・・八日市町、龍助町、大文字町、寺町、
そして当番の西町・・・の曳揃えがありました。

西町の外題は『清盛入道仏御前 西八条之段』

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14日、午前中に1回、各当番町での公演があり、
午後から橋北には三基、
橋南には五基の曳山が曳き揃えられ、
子供歌舞伎が演じられました。

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橋北では京町、中町の曳山を両脇に、
当番の材木町の曳山のうえで
『忠臣講釈真葛ケ原 宅兵衛上使の段』が演じられました。

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小松には「橋北」と「橋南」という地域区分があるそうですね。

あまり馴染みがないので、
どのような人情のちがいがあるのかはピンとこないのですが、
市内を流れる九龍橋川を境に両地区はそう呼ばれ、
心情的にも厳然たる区別があるのだと仄聞しました。

「お旅まつり」は兎橋神社と
本折日吉神社、ふたつの神社の春まつりですが、
前者は橋北、後者は橋南にあり、
それぞれの神輿や曳山はお互いに川を越えることなく、
氏子町内を練っていたのだそうです。

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今から22年まえ、市制50周年を記念して
橋北の曳山三基と橋南の五基が市役所まえに勢揃い・・・

いまでは「お旅まつり」の最大の呼び物になっている
「八基揃え」がこのときはじめて実現。 

その後は、毎年、橋北/橋南交互に場所を移し
「八基揃え」がおこなわれてきたのだそうです。

昨年は被災地を慮って八基揃えは中止されました。 

そして、今年は>橋北と橋南のちょうど境界線にあたる
細工町の交差点で八基が揃いました。 
これもはじめてのことなのだそうです。

午前10時過ぎ、小松に到着して無料(!)の駐車場に車を停め、
係りのおやじさんに会場までの案内を乞うと最後に

  「時間があれば、ぜひ『八基揃え』は見て帰ってくださいね」

と言われました。
もとよりそのつもりだったのですが、
子供歌舞伎、そして八基揃えは
小松の方々にとって「誇り」なんだなあ
・・・と感じました。

そして、噂に違わず、
やはり煌びやかですばらしいものでした・・・。

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石川県小松市の「お旅まつり」を見物にいきました。

今回、特に楽しみにしていたのは西町の
「清盛入道仏御前 西八条館乃段」。

これは「銘刀石切仏御前」というタイトルで
西町が平成12年、お旅まつりで演じた新作歌舞伎 
(小松市出身の元外交官、石田寛人氏作)で、
平成21年には龍助町も演じています。 

西町が同じ外題を演じるのは、
珍しいことなのだそうですが、
大河ドラマで清盛が取りあげられたこともあり、
リクエストも多かったことが、
今回の上演につながったそうです。

いずれのタイトルにも 
必ずしも主人公というわけでない「仏御前」
(・・・といいますか、登場人物すべて
が主人公といってもいい割付がされています) 
が入っているのは、
平家物語の冒頭に登場する彼女が
小松出身(原町)とされるからです。

どういった経緯かは知りませんが
「銘刀石切仏御前」は滋賀県の「米原曳山まつり」でも、
龍助町が演じた同じ年に子供歌舞伎で演じられています。 

もうひとりのヒロイン「妓王」が
江州(野洲郡)出身という縁からでしょうか。

セリフに何ケ所か「加賀」や「小松」
という言葉がフィーチャーされていて、
その都度、観客が沸く仕掛けになっているのは
、お旅まつりで演じられることを前提として書かれた
新作歌舞伎ならでは楽しさですね。 

でも、もうひとりのヒロイン、妓王の出身地には
ひと言も触れられないのが、
滋賀県民としてはちょっとアウェイに感じられたり(笑)

ほかのセリフで「竹生島」「堅田」「逢坂の関」 
など滋賀の地名を登場させているのは、
あるいは作者の洒落っ気でしょうか。

   萌えいずるも 枯るるも同じ 野べの草 
          いずれの秋に あわではつべき


記憶ちがいでなければ、この歌が
芝居のなかでより強調されていたり、ラスト・シーンで
悪辣非道な清盛にも宗教的な 
「救い」が与えられたりといくつか改変されていました。 

いずれにせよ、午前、午後、夜の部、
3回堪能させていただきました・・・


上が今回の西町、下は米原曳山の妓王です。
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あまりのインパクトに、
ついついお鍋さんばかりに注目が集まりますが、
総勢200名を越える行列
・・・猿田彦に獅子舞、太鼓台や蹴り奴、
母衣武者・・・よく見ると、いずれも主役級です! 

おもしろおかしく取りあげられることの多い祭り
ではありますが、しみじみよい祭りですね・・・

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