カテゴリ:◆近江の祭 湖南

  • 湖南 日枝神社のお田植えまつり
    [ 2012-05-02 13:00 ]
  • 守山 勝部の火祭り
    [ 2012-01-15 15:00 ]
  • 竜王 山之上神社のケンケト祭
    [ 2011-05-19 19:47 ]
  • 竜王 弓削の火祭り
    [ 2011-05-05 19:23 ]
  • 野洲 菅原神社 火渡り神事
    [ 2011-02-25 19:19 ]
  • 守山 浮気の火祭り
    [ 2011-01-09 01:17 ]
  • 守山 小津神社の長刀祭?
    [ 2010-05-12 23:10 ]
  • 守山 勝部の火祭り
    [ 2010-01-10 03:26 ]
  • くさつ街あかり・華あかり・夢あかり
    [ 2009-02-01 16:17 ]
この「お田植え踊り」がはじまったのは意外と新しく、昭和5年。 詳しい経緯はわかりませんが、高松宮の御婚儀に際し、献上米を奉納したこと(新田約一段歩を高松宮献穀田として設けられています)をきっかけに、はじめられたのかもしれません。 日枝神社は、14世紀のおわり頃、下田が開発されたときに坂本の日吉大社の分霊を勧請して創建されたものですが、天保の頃には有栖川宮詔仁親王より、明治にも有栖川宮成仁親王より額字を賜ったという縁故があり、その関係を田植え踊りというかたちで子供たちに伝えようとしたのではないか・・・というのは僕の妄想です^-^;

昭和9年には日枝神社の春の例祭の奉納行事としておこなわれるようになりました。

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毎年1月の第二土曜 (2005年以前は1月8日) 守山市の勝部神社で大たいまつ12基 (以前の本や資料を読むと16基となっています) を燃やす火祭りがおこなわれます。

社伝によると・・・いまから約800年まえ、土御門天皇が重篤な病に伏せられたとき、占い師に占わせたところ 「栗太と野洲の両郡にまたがっていた大沼に住む数千年生きる大蛇が天皇に危害を加えている」 ・・・という答えが返ってきます。 宮中から軍を差し向けて勝部神社に参籠、50日後、どこからともなく姿を現した大蛇を殺し焼いたところ、たちまち天皇の病気は平癒した・・・という故事がこの祭りの起源とされています。 同日、同時刻に、同じ守山市の 「住吉神社」 でも同様の火祭りがおこなわれ  『浮気ふけの火祭り』) そこでも多少異同はあるものの、似たような言い伝えがあるそうです。

境内でのスピーカーをとおしての解説で、そのほかにも、俵藤太に退治された三上山の大ムカデが浮気の住吉神社に、胴体勝部神社に,瀬田の唐橋近くまで飛んだ・・・という昔ばなしもある・・・と紹介がありました。
守山市勝部 (昭和16年までは栗太郡物部村) にある物部神社は、649 (大化5) 年、物部宿禰広国によって創建されたと伝えられます。 祭神は物部布津主神 (もののべふつぬしのかみ)、宇麻志摩遅命 (うましまじのみこと)、火明命 (ほあかりのみこと)。 物部氏の総社だったといわれます。 、現在の本殿は1399 (応永6) 年の造営 (1492年補修) で、重要文化財に指定されています。 

この神社はその名が示すとおり、古来より武門との関わりが強く、豊臣秀吉が朝鮮征伐の戦勝を祈願するなど 武家より厚い崇敬を受けていたといいます。 

あるいは、以前からおこなわれていた左義長のようなものが、この神社の武門との係わりから 「土御門天皇のための大蛇退治」 という勇ましい話に変わっていったのまもしれませんね。 小正月のまえに、藁でつくった大蛇を燃やす神事は大津にもあるので、ひょっとすると起源におなじ謂れがあるのかもしれません・・・


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5月3日、竜王町山之上神社と東近江市宮川の八坂神社で「ケンケト祭」がおこなわれます。
それぞれの神社で、朝から別な祭(宮川の「田楽踊り」 山之上の「長刀踊り」)がおこなわれるのですが、ある時間帯にはお互いの神社で踊りが奉納される・・・つまり、合同のお祭なのです。
祭が合同でおこなわれるようになった由来は、いまから300年ほどまえ・・・当時、尾州領だった山之上が旱魃で苦しんでいたとき、宮川の分水を受けたことから友好関係が深まったことによるといわれます。

当日は朝から「日野祭」「瀧樹神社のケンケト祭」を見て、夕方、山之上神社のケンケト祭のうち・・・「長刀踊り」だけを見物しました。

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竜王町弓削、小日吉神社の例祭、5月1日の宵宮に松明を燃やす神事・・・「弓削の火祭り」 がおこなわれます。
お隣の近江八幡ではあれほど頻繁におこなわれている松明まつりですが、なぜか竜王も含めて周辺地域で見かけることはありません。ただ、この地域は八幡にも距離的に近く、いつの時代にか伝播したのかもしれませんね。

この神社は荘園時代に、対岸の坂本日吉大社の社領地で、大山咋之命の分霊をお祀りしたのがその起源といわれます。 おそらく、その頃にはじめられた神事なのかもしれませんが、花火の不思議な使われ方など、どういう由来でこんなかたちになったのか・・・知りたいものです。


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毎年、命日の2月25日、菅原道真を祭神とする野洲市永原の菅原神社で「火渡り神事」がおこなわれます。
神社の創建は不明だそうですが「永原千句」と呼ばれる連歌師興行が明治中ごろまでおこなわれていたといわれますから、文化的にもすすんだ場所だったんでしょうね。(北村季吟もこの近くの出身です)
火種の残る護摩木のうえを裸足で歩いて「病魔焼却」「活力増進」を祈る、一種の修養行事です。

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「浮気の火祭り」
・・・といっても、不倫の発覚した男が、妻に火あぶりの刑に処せられる「浮気の血祭り」ではありません^^;
「浮気」は地名で「ふけ」と読みます。

昨年見に行った「勝部の火祭り」と同じ日(1月の第二土曜・・・以前は1月8日)、同じく守山市の浮気、住吉神社で同じ由来をもつ火祭りが行われます。
「勝部」にくらべると、いくぶんスケールは小さいのですが、そのかわり間近で見物できるので、スリル満点でした。

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毎年5月5日、浜街道沿いの守山・小津神社で行われる長刀祭は、欽明天皇のころ、びわ湖の氾濫により湖底に流された神霊を迎えるために、氏子らが奉納した踊りが起源といわれています。

小津、玉津の両学区十一町の範囲で毎年順番に踊りを担当し、8年に1度の持ち回り・・・ということは予備知識として仕入れていたのですが、この祭・・・いろんな記事や本などによって、書かれているスケジュールがけっこうまちまちです^^; 持ち回りのために、受け持つ地区の都合で、時間が変化するのでしょうか・・・?

午前9時半から10時ごろに、小津神社の参道で長刀踊りが見られる・・・というのが最大公約数みたいなので、9時前に、鳥居まえに行ってみました・・・

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守山市勝部神社の火祭りは、毎年1月の第二土曜に行われます。

祭の由来は、約800年前に遡ります。

土御門天皇が病になられたとき、栗太野洲の両郡の境にある大沼に住む数千年生きる大蛇が天皇に危害を加えているという占いが・・・。 宮中から軍を差し向けて勝部神社に参籠、50日後、姿を現した大蛇を殺し焼いたところ、たちまち天皇の病気は平癒したといいます。

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